2011年6月25日(八段語録1355)

私と全国組織(25) 誰にでも敬意を払えるように

 「社会を明るくする運動」の原町地区の会合を平田神社集会所で持つことになりました。総会への準備を整えていくという事で、会議を重ねながら、社会協議福祉会の協力を得てどのような展開をするかという事なのです。私達は、教育機関との協力をテーマに推し進めているのです。そして、今年は極真空手の練成会をするという事なのです。
 一連の説明をすると同時に、菊池委員から震災後の人々の動きや願い、そしてどのように要求に答えていったかの詳細な発表がありました。能力をフル活動させながら、この震災の期間歩んできた内容を話していただきました。私の計り知らなかったレベルの内容も多数あったものですから、話を聞くにおいて夢中になってしまいました。
 大まかに三点に絞りますが、東日本では、津波で避難所暮らしをしている人たちが10万人を超えるほどいるのです。第一次産業の人達は、今までと同じ地域に住み、暮らしたいという意向が強いという事です。しかし、第二次産業等に就いている人達は、町ごと移転して、新生活をしたいという事なのです。産業によって異なる都市づくりにどのように対応すべきか、という課題を投げかけていました。
 また、被災にあった人達が、法律を知らないゆえに、国の支援を受けられないケースが多いという事なのです。はっきり法律の運営に則った国の補償を抽出して、住民に感謝された事の話には、心動かされるものがありました。
 最も強調して怒りを覚えられている事にも触れていました。赤十字で集めた義援金がほとんど被災者に届いていないということでした。被災者にとって生活をどのようにすべきかを早急に検討しなければならない時に、義援金が支払われないという事は、実に行政の怠慢であると言うほか考えられないということでした。このような話で盛り上がっていました。それらを踏まえての今回の社明ということになるのです。
 ところで、震災に経験をして、地域社会における一人ひとりの人間の位置付けと役割を考慮に入れての必要性が不足しているという事なのです。確かに義援金は集まり、ボランティアの人たちも大勢駆けつけてくれました。震災に無縁は人達がどれだけ復興への手助けをするかということに関しては、気に掛けない現実も浮き彫りになっていました。
 マスコミで取り上げる回数が少なくなると、震災で苦しんでいる人たちが見捨てられしものとして葬りされる事が多いのではないかという事なのです。実に震災を受けた人達が憐みをかけられる事さえ忘れてしまうのではないかという懸念を抱くのです。私達は、被災にあった人達のために、意識して役割と位置づけをしっかり保って復興へ取り組まなければならないと思えたのでした。