2011年6月23日(八段語録1353)

私と全国組織(23) 私の道場生の成長段階の指導を拒否された

 極真空手は、伝統派空手のように、型だけとか、当てない組み手という事などあり得ないのです。極真会館という秩序の中では、指導に当たる先生やスタッフは、お互い私と同ようにコミュニティを持って責任を持ち続けていくという事なのです。この考え方は、最も独特であり、かつ重要だと思うのです。極真会館の世界では革命なのです。
 宮城県本部の場合も例外ではなく、菅野師範と私とのコミュニティで、あらゆる重要な事を推し進められているわけなのです。私とのコミュニティとは、菅野師範が思い描いている運営を自由に実践し行くことであり、道場の運営の設計、組織、シフト、休暇、残業、安全等、道場の問題について責任を持つという内容なのです。
 しかし、このような私の考え方は、旧態以前の昔の極真会館の師範からするならば、師範の権限を侵すものとして、拒否される内容であるとは間違いないのです。それでも私の考え方が変わるかというならば、変わるわけがないのです。何故ならば、全国、全世界を抱えながら、組織運営をしなければならない方向性があるので、現場は、全て責任を持って運営していくのです。
 今回、私が携る指導教室で、7月から他の教室へ移籍するという事件が起きました。私の指導に問題があるという文面が並べられていました。私の解答は、自由に移って下さいという事です。というのも、私には、育て上げた弟子たちで今の指導陣を形成しています。その圏内で指導を受けるならば問題はないのです。例え、佐々木先生にしても弟子には変わりはないのです。話は、それだけなのです。それ以上の事もなければ、それ以下の事も無いのです。
 この事で、道場生を規制するつもりもありません。私に対する拒否を道場運営上チャンスにしなければならないと思っております。もちろん、多くのこのようなケースの場合、当事者としての道場生の家族は、正しい判断をしたとは思えないのです。理由は、極真会館宮城県本部の最終的責任者は私だからなのです。帯にはレベルがあるのです。緑帯クラスになると、東北地方はもちろん、全国で活躍する道場生だらけです。どの教室へ移動しようが、私が全責任を持っているからなのです。
 私への刺激は、ありがたいものです。私に対する拒否というインパクトは除去しようとは思いません。除去しようとするだけで、心が痛いし、精神的コスト増にもつながります。しかし、極真会館の各教室のルールに従わない道場生は、信頼して任せてもらっているとは受け止めることが出来ないのです。当然道場生として、足らない内容は補足すべく鍛錬します。それが、道場生に対する愛情です。
 今後も、各教室には同じルールを当てはめようと思うし、規制、つまり菅野師範を中心とする何らかの公的権力の行使はせざるを得ないのです。もちろん、一般道場生に対して、このような規制やルールは、最大の効果をもたらすと確信しています。このような規制の方法を、他に先んじて検討する事が、執行部という事になるのです。これからは、各教室の標準化を目指しての立法化をはかる事が、師範の仕事になるのではないかと思うのです。この責任は、絶対に疎かにしないという決意を秘めた一日でした。