2011年6月19日(八段語録1349)

私と全国組織(19) 青少年交流振興協会会議

 7時36分の新幹線「はやて」で一路東京は出発です。10時には東京駅に到着して、宮城師範と待ち合わせということになりました。ところが、広島からの飛行機の遅れで待ち合わせの時間が大幅に遅れてしまいました。その時間何もする事も無いので、ひたすらブログの更新に向けて、おもむろにパソコンを開くのです。習性というのは治らないのです。
 パソコンの画面が現れると、面白いほど考えていることが浮かび上がります。頭の中で文字が躍るようです。それだからと言って、焦点が絞られた内容ではないので、ただ書き連ねていくという類いのものですが、それでも意味ある事と思って、書き続けてしまうのです。
 その内容の一端を書いてしまいます。東日本大震災の後の社会は、一国のリーダーの指導力のなさも表面化して思うように復興はしていないのです。特に、仮設住宅の設定が早急に願われますし、それと伴って職を失った人々への救済が急務なのです。震災後の特有の最悪の状態になっているのです。今の震災地区にとって最も危険な病という状況なのです。
 震災で大きな打撃を受けたのは、海に近い人々ですから、漁業関係者が多いのです。失業の増大が避けられないのにもかかわらず、何も手を打てない管内閣に怒りさえうまれてくるのではないかと思うのです。首相としてやる気は保身でしか認められないのです。ペテン師的な姑息な知恵を振り絞っての延命策は、青少年の教育に最も悪い影響を及ぼしてしまいます。
 さて、原発問題を含めて、東日本の被災者達は、今の管内閣が最大の脅威になっているのです。就労年齢にある人達にとって、震災後のこれからの暮らしに不安を生じているばかりか、職がない事に将来への重大な脅威が迫っているのです。このような認識はまるっきりないように思えて仕方がないのです。
 管内閣に対して、東北の人達は怒っているのです。それは、日に日に深刻さを増すばかりなのです。職がないということに対する利害を直接受けるのは、被災者であり、避難所や仮設住宅に移り住もうとする住民なのです。共通の利害を有する被災者に対して、救済の方策もままならぬ現状では何ら意味をなさないのです。
 宮城師範と合おうとしている時に、余り発想が発展的でない方向に頭脳は回転しているようです。反省です。極真会館の方向性を決定していこうとする会議なので、焦点を絞ろうとするのです。そして、今まで考えてきた事を理事会で発表です。それなりに、話したつもりですが、私の話し方のインパクトが大きいので、引かれてしまう場面もありました。それでも、今後の極真会館の方向性を決定する上で、大切な内容を確認する事ができたと胸を撫で下ろしたのです。
 帰りの新幹線に乗りながら、今後の活動を展望しようとしていましたが、眠ってしまっていました。気が付けば白石を過ぎて仙台がすぐなのです。今日も終わったという気持ちを大事に心の風呂敷に仕舞い込んでいます。