2011年6月10日(八段語録1340)

私と全国組織(10) 金の亡者になったら組織は終焉を迎える

 私の人生の歩みを振り返ると、小学校高学年から夕刊の新聞配達を始め、中学・高校と続けたのです。アルバイト代の収入は、全て母親に委ねました。母親は、神棚にお供えして大切に家計の為に使っていました。
 高校卒業すると、私の場合、社会の荒波に出航したのですが、それでもその時に使った小遣いの金額は1万5千円以内でした。それ以上金銭は営業で追及しましたが、費用として個人が使う小遣いは僅かな金額に設定して実行したのです。
 自らの大志と、準備している作戦は噛み合わない事はなかったのです。極真空手を実践するわけですので、腹は減るのですが、当時の生活を振り返ると、炭水化物は耳パンを大量に安く仕入れて、腹いっぱいにしていました。野菜は、八百屋さんで結構タダで切れ端を貰っていましたし、魚屋さんでは荒を貰っていました。
 当時は、肉を食べるという事は、実に贅沢だったような気がしていました。そのような生活になっていましたが、自分がやるべき大志と価値観が合わないという事は無かったのです。それだから何でも推し進めていく事ができる原動力が生活の中から生まれてきたのです。
 自分の大志と、生活が一致していたので何も苦にならなかったという事です。大志と自分の人生が一致しているという事が実に有意義に感じたものです。住む部屋は、埴生の宿であり、人生の一部を割きながら、毎日を過ごすという事が充実感をもたらせた事になるのです。
 ところが、私自身、目標として目指した内容に仕事面で税理士という決意をした事があるのです。大学院に入って学問を推し進めていく中で、集まってきている税理士志望の人達と、価値観の相違が明確になってきたのです。自分が描いた仕事内容とはまるっきり違ったのです。順風満帆にいくような状況であったにも関わらず、やる気を無くしてしまったのでした。
 私の関心の在処は、金を扱うことではなく、人間教育をしていきたいという事だったのです。大学院時代、貯えがあるわけでもなく、他に職の見通しがあるわけでもなかったのです。それでも、断念したのです。そして、心に誓ったのが極真空手を通じて、多くの人を教育していこうという決断だったのです。
 その事が今になって、正しい行動であったのかは定かではないのです。つまるところ、優先すべき事は、価値観であるという結論を出したのでした。そのように決意を重ねた私が、全国をどのように指導できるのか課題が満載されています。そのような思いを抱きながら今日の歩みを充実にしていました。