2011年6月8日(八段語録1338)

私と全国組織(8) どんな貢献をしているのか

 五十代の後半極真会館会長補佐になって、ふと考えるのは、何を持って社会に貢献してきたのだろうかという事です。幼いころは、確かに夢を持って人生を取り組もうとしていました。とりわけ私の場合は、弁護士とか裁判官というような夢であったような気がします。そのうちに、学校教育の中で揉まれ、自分のレベルを知るようになると夢の回答が無くなっていたようでした。
 それでも、回答が無い中でも、自分の能力を磨くようになり、人生を無駄に過ごすまいという気持ちが生まれ、それなりに、社会貢献を考えていったのでした。そこで私の一番のポイントは、「広い門は滅びに至る」ということでした。それだから、「狭い門から入りなさい」という聖書の言葉に共鳴していたのでした。
 この言葉は、自分が社会の中で、「列外」でありたいという気持ちを育てたのでした。それゆえに、普通のサラリーマンになる事願わなくなっていました。学生運動と相まって、自分で切り開く、社会活動という事に専念したのでした。十代後半は、社会の最も底辺にいようとしていました。住宅を一軒一軒回る廃品回収をしたりしたのもこの時期でした。また、セールスに挑戦もしたのでした。
 さらにもうひとつ、飛び込んできた言葉がありました。それは、「求めよ、さらば与えられん」とう言葉だったのです。これも人生を有意義なものにしたいという思いそのものだったのです。私は、いつもこの言葉を自らに問いかけていたのでした。これは、自己刷新を促す問いに他ならないのでした。
 少なからず、自分自身を若干、人と違ったように思う事にしてきたのでした。しかも、なりうる人間として見せることができるように問いかけながら実践してきたのです。私はある意味で、運が良いほうなのです。若い時に、このように問いかけ続けてきたのですが、今尚自らに問いかけ続けているのです。つまり一生を通じて問いかけ続けているという結果をもたらしているのです。このように問いかけ続けていける人生を持ったという事は、幸せな事なのです。
 今、私は、極真会館の指導者として、対社会的には憶えて貰っているのです。もちろん、保護司としての社会的地位も存在します。それは、あくまでも極真会館の指導者であるからなのです。誰から何と言われようが、40年間空手道の道を歩み続け、自己刷新し続けてきた事になるのです。途方もない人生に「何を持って社会貢献してきたのか」という事を自らに問うならば、空手道の指導者として社会に覚えられていると断言できるのです。
 この内容は、自分にとって誇りであり、これからの自分に対しての生きがいになる事は間違いない事だと思っているのです。それ故に、一生を通じて、更にこの事を問い続けていく覚悟が生まれているのです。