本部長通信133  2008年3月27日

青少年教育と地域貢献(11)


 本格的に道場運営に専念することになりました。師範とはいかなる分野であるかと問いただす毎日でした。宮城県本部の宮城野支部として設立しました。一年後、同じ考えを持つ、手塚会長が直接の師として歩むようになりました。いつも相談しながらの運営でした。榴岡体育館が私の道場の発祥の地ということになります。
 当時は、人数も少なかったのですが、最初に支えてくださった人は、袋原内科医院長の熊谷均先生でした。空手の用具を買うようにと数十万のお金を準備して惜しげもなく与えてくださいました。その御恩に応えようと、汗を流しながら、精神のこもった指導をし続けたのでした。私を助けて補ってくださる先生の御好意を無にしてはならないと必死でした。先生が与えてくださった献金は、精神のこもった、私が道場を思う基準よりも勝っていました。今でも涙が出るほどうれしく感じるのです。
 さらに、宮城野支部で、一番弟子として駆けつけてきたのが、今の菅野歩師範代でした。次に、宍戸忠師範代が熱心に稽古していました。最初に、稽古に榴岡体育館に行く途中、そのあとを追って車でかけつけてくれたのでした。その後、大友壯太郎師範代が、私の相談相手として心を尽してくださいました。この三人の指導者が一般にいう師範を支える、三銃士ということになります。

師範稽古 移動蹴り40分