2011年5月28日(八段語録1327)

復興への道(44)

 私が今までの方針を強要するのではなく、責任ある指導者の意見を最大限取り入れる理由は、方針が、物理の法則のような絶対的な原理としての方針では無いからなのです。ある意味で、これからの方針を打ち出す時に、道場の運営というものは、人が考えてものである以上、唯一絶対たりえず、せいぜいのところ、正しい課題を見つけるための問題提起にすぎないと思うからなのです。
 私の指導方針と、これから担うであろう指導者の運営の多くと異なる事があって良いと思うのです。おそらく、このような観点を持つのは、頑固な経営者ではない事を表すのかもしれないのです。責任を持たずに、あるいは自分の事だけしか考えない指導者であるならば吐き気がでてしまいます。そうではなく、これからの未来の極真会館宮城県本部の提言に関しては大歓迎なのです。
 もちろん私は、基本的な価値観を持つスタッフを信じるのです。しかし、自己中心的発想であるのか、極真会館宮城県本部を背負っての行動なのかは、肌で感じることがあるのです。だからと言って、唯一無二の答えというものはまるっきり信じないのです。如何なる方針にも誤りの恐れがあるのです。
 少なくともあらゆる答えを試してみて、結果が良く生まれるまでは、その恐れがあるのです。しかも、これからの大震災以降の運営となれば、何が正しいのか、間違いなのかでは無いのです。うまくいくのか、いかないのかだけなのです。これからの方針と努力はかなりシビアに問われるのです。まさに医療と同じように、うまくいくか、いかないかによって判断されるのです。
 そのような事を考えている内に、手塚会長と11時過ぎに仙台駅で合う事ができました。仙台の現状を聞きたいという事と、秋田で審査会があるので一緒に出かけるという事なのです。北山事務局長より、現状が報告されました。会長としては、もう少し積極的に運営して欲しいという感想を述べていました。私はというならば、現場と会長との板挟みということになったのですが、両方の意見を受け入れていたのです。
 大震災後という、未だ誰もいった事のない道を切り開こうとする私達であるので、どんな意見にも耳を傾けて、成果を上げる上で、実務上どのようにしていくべきか考えを巡らせてしまうのです。それでも、今日の私の気持ちの大半は、これからの運営がうまく行くのか、いかないのかということであると心に止めていました。