2011年5月27日(八段語録1326)

復興への道(43)

 消防団を始めとして、様々なボランティア活動を中心に活動をしてきました。更に、夜には菅野師範と北山事務局長と我が家での会議に入りました。今年の方針を、宮城県本部の責任を持つものとしての意見を述べていました。
審査、合宿あらゆる事に関わった方針でした。高度なスペシャリストという立場から、あらゆる事を検討して、高い能力を持って方針を出しているからには、それに対しての専門家としての能力を駆使した事になります。これからの運営の質を表現する事になります。
東日本大震災の後での、一つの方針が、今後を大きく変えていきます。ある意味では、空手道を修行してきたスペシャリストとしての成果が問われることになるし、成功率によって、師範としての指導能力が測定されることになるのです。
しかし、当然、問題は、測定にあることに主眼点が置かれるわけではないのです。そもそも、これからの宮城県本部を運営して行く上で、ミッションは何であり、何でなければならないかを明確に定義していかなければならないという事なのです。
今の、小学校の教育を眺めると、一言で言うならば、ひどい状態にあると言って過言でないのです。私達の道場の場合、同じように小学校の子供たちを相手にしながら、立派にしつけをし、学ばせる姿勢を作っているのです。小学校と空手道場を一緒にできない事は十分分かっているのですが、最大に違いは、誰でも学ばせている義務教育という点と、家庭が学ばせようとする意欲を持って通っているという事との定義の異なるところにあるのです。
義務教育の小学校では、あらゆる子供を教育しようとする役割を演じていることに対して、私達の道場では、学ぼうとしようと意欲を持っている子供たちを対象に教育をこなしているのです。前者は、多くの地域の不特定多数になるのですが、私達は家族が協議して選択して選んで来ているという事を基準とされているのです。
このような環境を提供できる空手道場としての優位性をどのように生かして、多くの人を教育するかがこれから正念場になるという事を感じるのです。やはり、これから師範が問われるのは、教育の質の評価であり、その評価により、多く子供達を正しく成長させていく事なのです。
それだからと言って、消極的な姿勢ではいけないという事なのです。大胆に活発に運営していかなければならない事だと思うのです。現実は案ずるよりも産むがやすしということだと思うのです。大震災という環境に振り回されることなく、積極果敢に、道場発展をより社会に訴えて欲しいと切に願うばかりでした。