2011年5月26日(八段語録1325)

復興への道(42)

 国見スイミングクラブでの指導が、今月3回目を迎えたのです。この教室は一時間しかないので、ポイント絞っての指導なのです。しかも、レベルを上げようとする私の意識が強いので、実践を中心とした稽古をメインになるのです。
 当然、以前の指導者とは違うので、戸惑う道場生もいました。指導者が代わって顔を出さなくなった道場生もいました。さらに、指導が厳しいという事で、退会届を出す道場生もおりました。中間から割り込んでの指導でしたので、副作用が生まれたのだと反省をしているのです。
 それでも、極真空手は、実践空手であるので、その本質をしっかり受け止めて、人にやさしく、自分に厳しい人間性を身に着けさせようとするのです。パンチや蹴りを受けて、その痛みを知るという事も必要なのです。ただ技術的側面だけを指導するのではなく、人間として、痛みを乗り越え、人にやさしい人格を形成して行くのが、子供達にとって良き指導であるのではないかという自分ながらの結論です。
 そのような指導を私はするので、旧態依然たる極真の指導をしていると思われるのですが、極真の鉄則が実践であり、それによってもたらされる成果は大きいと確信しているのです。
しかしながら、誤解する父兄が現れたのは残念で仕方がありません。というのも、指導を行って、稽古で成果とすべき答えは無数にあるのも事実なのです。その時に、道場生の備えによって、意欲を感じて、レベルの高い指導もしてしまう事もあるのです。国見スイミングの場合、お稽古ごととして、通っている道場生もいるのです。長い期間の間に、私という指導者が、醸し出す稽古は、道場生の成長であり、ひとり一人が向き合うべき実績の必要性も明らかにすべきであると考えるのです。
 どのように思ったのか、私の指導が理解できないご父兄を生じさせたことになるのです。当然、見方によるリスクも伴う事も感じています。しかも、長い期間をかけなければ、稽古の目的も一致しない事があるのです。その意味では、信頼して貰う以外ないということになるのです。
 今回三回目の指導ですが、一回当たりの稽古の精度を上げて、より道場生の成長を促す事ができる指導をしようと心がけているのです。この種の決定は、長年の稽古の継承であり、研究を重ねた内容なので、変わることのない指導をしていこうと思っているのです。
稽古をより充実させ、長い期間に渡って、逞しい道場生を育てていこうとする、私の決意が再び固まるのです。
 それ故に、今から始める国見スイミング教室の指導は楽しみなってくるし、私の指導力が試されるのであると思うのです。もちろん、なるべく全員に理解して貰って、稽古による教育が更に深まるように、探求するつもりなのです。