2011年5月25日(八段語録1324)

復興への道(41)

 手塚グループに対する私なりの方向性は、指導者たる者、絶えず稽古をして、継続学習のプロセスを組み込んでおかなければならないという事なのです。自分の得意、あるいは不得意はあるにしても、修練を重ねなければならないと思うのです。
 指導者が稽古を怠ってしまった場合には、道場の発展はあり得ないのです。そして、稽古の中で学びつつ、かつ教えていく姿勢を持たなければならないのです。今日、技術や指導方法は、急速に如何なる分野でも変化をしているのです。その為にも、指導者たる者自らの稽古に継続学習を組み入れていくべきであり、もしそのような努力を怠ってしまったならば、今の時代にはついていけなくなるのです。
 この事は、指導者についてだけ言えることではなく、事務局においても当然言えることで、絶えず切磋琢磨しながら前へ進んでいかなければならないということになります。しかも、指導者間で、先輩や後輩が何をしているのかを知らなければならないという事は言うまでもないのです。指導者それぞれに、別の専門領域があるのです。それをしっかり学ぶ必要があるのであり、更に指導者は同僚に知らせるという責任も生まれてくるのです。指導しながら、あるいは、国際空手道ルールについても知識上変化がある場合には、先駆け知る場合もあるのです。
 というのは、指導者たる者は、第一に、自らの専門領域において知識の最先端にある為には何を学ばなければならないかを考えなければならないのです。第二に、自らの専門領域について同僚は何を知らなければならないかについて本腰を入れて考えて、答えを出さなければならない事を意味するのです。
 ある指導者は、段位を貰った事で、満足し、技術の開拓や大会で勝利に導くための指導を怠る様子を伺うのです。自分だけの稽古を指導するだけで、何ら発展を試みないのです。いつしか安易な指導ゆえに、道場生からも飽きられて、道場生を減らす結果になってしまうのです。
 自分の道場生が、どのレベルまで成長しているかを検討すべきなのです。そして、空手道だけでなく、人間として高い評価を得ることができるように努力すべきであると思うのです。
 今日も、説教から入ってしまいました。何分年齢を重ねると、長老になってしまい、言いたい事が先に生まれるようです。もちろん、自分にも跳ね返ってくるのです。その跳ね返りで、更に自らを奮い立たせて、先陣を切る覚悟が生まれるのです。そのような生きざまをするのです。今日は国見スイミング教室の指導です。一時間という短い時間で教育しなければならないので、工夫が必要になります。