2011年5月14日(八段語録1313)

復興への道(30)

 多くの人達を空手という道を通じて抱擁して、出来るだけ多種多様な分野の人達を包括して行きたいと思うのです。というのも、空手道という修行の道は、多くの人にとって、一致化しやすく、求めがいがあるのです。今の社会を分析してみるならば、多くの人達が、専門的分野で従事していることが多いのです。そして、専門化ゆえに、細分化されているので、互いの関わりの少ない関係になってきているのです。
 それ故に、このような専門化され、細分化された社会において、空手道という一致化した、求めがいのある修行の道で共に汗を流す事は、とても良い結果をもたらすのです。集まってきている道場生は、専門化され、細分化している社会であるの真只中で、もがき苦しむのです。いかし、道場へ一歩足を踏み入れるならば、利害関係も少なく、純粋にひたすらに、道場生同士が助け合いながら、道を求めながら空手道を追及できるのです。
 例えば、今の社会の縮図を総合病院として考えれば、高度に専門化した技術者をマネジメントして、配置し、合理的に運営させる為に、仕事を細分化させながら、人材を複合的に活用しているのです。ベット数が300ぐらいある中堅の総合病院でさえ、直接間接に3000人の人達が関わるように成るのです。当然大きな分野は看護と管理ということになります。
 そして、医療技術の専門分野に限定しても、理学療法、各種検査、ケースワーカー、外科手術、睡眠治療、超音波検査、その他諸々の諸分野があるのです。これらの全てをマネジメントされて初めて、総合病院として成り立つわけなのです。ある意味では、余りにも複雑な社会構造になっているという事ができるのです。
 このような社会の中で生きる多くの人達に、一つの道を提示し、同じ稽古を積みながら、社会の中で飢え渇く心を満たす事ができるのが空手道という事にもなるのです。最近私は、稽古をしながら、多くの人達に心を一つにする素晴らしさを指導していることになるのです。複雑に絡み合った職場や人間関係のもやもやとした気持ちを引きずってきた道場生が、稽古を始めるにつれて、一つの道を求めながら輝きをまして行く顔の表情に出会うのです。
 そして、いつの間にか、心は限りなく浄化され、純粋に瞳の輝きを放つのです。その姿を見る時に、複雑に細分化された労働環境で、オワシスのような環境であると認識を新たにするのです。
 私自身も、道場生の晴れやかな心に遭遇するようになると、心から満足感が込み上げてくるのです。道場は、道場生の心を高め、純粋にして行くところであると再び思うのです。何か、複雑なアプローチになってしまいましたが、それなりに充実した一日を過ごす事ができました。感謝しながら、更なる飛躍を誓って一日を終えたいと思うのです。