2013年12月31日(八段語録1943)

指導者に告ぐ(48)


 今年最後のブログになってしまいました。とはいっても、数日前に書いているのです。年末ですから、大掃除や買い物といった用事がたくさんあるからです。話は変わりますが、極端な事で、今年は、大厄でした。そのような年回りだそうです。実際は、それほど不幸な事は無かったのですが、無事に終えそうです。今年を振り返って、できないという事は無いという結論です。もっと熱心に活動しさえすれば、可能な事はいくらでもあったように思うのです。
 つまり、もう一度言うのですが、できないという事は無いという事です。私の命が、今やっていることに関わっているならば、私はどうするでしょうか。私の命が危ない状態にあれば、いまやっているものがどういうものであれ、私は必死で行うでしょう。ひたすらそれに専念し、自分の持っているもの全てを投入するでしょう。そのような意味で、普通の考え方ではないという事です。「意志がある所、道あり」という事を私は心底から知るようになっているのです。
 私は、あきらめたことは無いのです。実は、都合よく方向転換してしまうようです。私の中で何かが変化したなら、結果が現れます。今年は、良いことがありました。息子が三月に柔道整復師の国家試験に合格し、今インターンをやっています。親として、こんなにうれしいことは無いのです。試験の最後の追込みでは、息子と二人三脚で毎日を過ごしました。楽しい思い出になりました。どんなに、難しい試験なのか、私も疑似体験していましたから、息子を理解しながら、試験に備えたのです。
 結果、無事合格でした。このような一年であり、私の人生自体ユニークな運命であったと思うのです。そして、それを生き抜いてきたのです。人がどんなに批判しても、私には関係のない事だったのです。一方の耳から入れ、もう一方の耳からそれを出してしまいます。私はある意味で、自分の運命をやりとげ、自分の役割を果たすことしか考えていないのです。それだけです。
 一年を振り替えてみて、宮城県本部の指導者は、優しいのです。親切で寛大なのです。極真空手ですから、もう少し「鉄拳」方式も必要だとおもうのですが。素晴らしい教育環境を築いているのです。世の中では、体育系の教育者が体罰問題で揺れた一年でした。伝統ある柔道界でも、ふしだらな関係と体罰が大きな問題になっていました。まさに道徳が荒廃していたのです。加納治五郎の精神はどこに行ったのでしょうか。私達はというならば、私達の道徳も聖人のように高潔であったと思うのです。ちょっと褒めすぎでしょうか。そのような意味では、来年は、今までと違った人間となって、与えられた役割を完全に全うしましょう。今年、本当にありがとう。皆さん指導者に祝福あれ。