2013年12月29日(八段語録1941)

指導者に告ぐ(46)


 指導者になって初めて、指導者としての特権と責任が与えられます。指導者となったならば、自分が築いた記録を樹立し、その記録を付けておくべきです。極真会館に入門して、その指導を受けてきたということは、先輩達からの勝利してきた恩恵を受けてきたのです。そのような意味では、受けた恩を返すというのも指導者の立場なのです。私もこの道場に二十年間、特別な注意を払ってきました。ほとんど毎日道場へ通いました。そして細かいこともほとんどすべてにわたって、気を配ってきたのです。時間があれば、いつも道場に行きました。そして、過ぎてみれば、二十年近い歳月が流れたのです。
 つまり、宮城県本部に対しての私のある意味での役割は完了したのです。私は道場生に対して、無責任だったことは一度もないのです。しかし、指導者の皆さんが、自分の役割について何も考えていないならば、誰も道場生は認めないのです。まず、何でもやりたいと思う事をやってそれから自分の役割を考えるというならば、普通の人であって、指導者には成りえないのです。四六時中、自分の役割の事以外に何も考えられないという心境が、当たり前なのです。そのように思えば、それ以上のメッセージは私から必要ないのです。もう既に、指導者としてのメッセージを持っているのです。指導者としての役割を、皆さんの体と魂から出てくるすべてのエネルギーを、その役割に投入されていくのです。
 実に重要な事を書いているのですが、理解できるでしょうか。私は、この年齢に成っても疲れていません。足が痛みだしたら、足に向かって頑張れと励まします。どうしても動かないのなら叱り飛ばしもします。こういうふうにして、私は自分を前に押し出そうとします。実際に足をサンドバックにぶつけたりして、刺激することもあるのです。毎日、自分を急き立てながら出かけようとするのです。私にはそれしかないのです。あの世に行ってしまって、悔いを残したくないのです。
 私は何も隠したりしません。永遠に恥じない生き方をしたいだけなのです。そして、自分の人生を誇りたいのです。その為に一生懸命、極真の道を歩むのみなのです。それも誰もやれないことに挑戦するのです。もちろん、誰もができない、何かユニークな事をやってきたのです。他の人が真似できないことを何かやってきたのです。私は、学問の分野の最高レベルを達成させようとしたり、全日本に出て実力を試そうとしたり、訳の分からない事を平気で実践してきたのです。実に気違いじみています。それは、指導者になってみて、役立つことが多いのです。