2013年12月28日(八段語録1940)

指導者に告ぐ(45)


 極真会館の段位を取るという事は、大山総裁を良く知りたいという思いから出発することが、重要だということです。ただ強くなりたいのでしたら、極真以外でも学べるはずです。そして段位は、創始者であり、この道を歩んだ張本人の道だからなのです。総裁に近づこうとするために、段位を取ってきたというのが、私の本音だったのです。別に段位など、どうでも良いとも思う気持ちも湧き上がるのですが、上り詰めて、総裁に近づこうとしたのでした。結果、そのように段位を取って、感じたことは、とても恵まれた人生を歩んだという事なのです。当然、そのように段位を取るという事は、とてもまれな、普通ではない生き方をしたことになるのです。
 ある意味で、段位を取っていくという事は、極真会館の指示に従って狭い生き方をしなければならなかったのも事実なのです。振り返ってみると、そのような生き方を運命づけたのかもしれないのです。もちろん、入門した当時は、総裁に会う事にも値しないように思えたものでした。有段者になった時でも、この黒帯を締めるべきではないと思った時もあったし、私よりもっと優秀な人が黒帯になるべきであると思ったのでした。逆になんと栄光な事かと思ったりもしたものです。
 アパートの片隅で、真夜中に月を見ながら、また太陽が昇ったばかりの早朝に、深く瞑想してみたりたのです。山の遥か向うを見ながら、自分の段位とか修行の道筋とかを考えたりしたものでした。自分は総裁に直接つながっている特別な人間ではないかと仮にも、思ったりもしたのでした。総裁に直接指示を受けることができる立場で、全日本に参加したことを思うと、道場生の中でも羨まれる立場であったのだという事が思い出されるのです。その時は、総裁の願いに立って全日本に出ることがどれ程の栄光を感じたのか分からないくらいだったのです。
 しかしながら、全日本で優勝できなかったのですから、たわいもないと卑下したりしたものです。また本部道場で一緒に稽古していた、自分より弱い同僚が全日本で準優勝することになったりするとひがんでみたり、結構複雑な心境も味わったものです。そのような意味では、あらゆる内容を受け入れる器もなかったし、決して有名選手になったわけでもないし、エリート教育を受けたわけでもないし、何も出来なかったなという後悔の念も多くあるのです。ただ、私は、総裁の中に何かを感じ、従っていこうと努力したに過ぎなかったのかもしれないのです。
 結論として、無教育な原始的な私が、今の立場にあるという事は、指導者の皆さんは、私よりも劣った立場にならないような努力はできるはずなのです。もっと優秀な選手時代を過ごしたら、もっと良かったと思うのですが、後の祭りです。それでも今、極真の道の在り方を教えています。多くの人がブログを読みながら感じるものがあると思うのです。このメッセージは百年後の人に話しているのかもしれませんが、指導者の皆さんには、理解してもらって、人生を「汗と涙の生き方」になると良いと思うのです。