2013年12月26日(八段語録1938)

指導者に告ぐ(43)


 極真会館というだけの内容ではなく、わが家庭が、道場生のショーケースになれば良いと考えています。何故ならば、伝統を打ち立てるという目標を持っている事と、その精神が家庭に結実しているという事を表現したいと思うからです。いったん、良き家庭が極真という精神で築き上げられるとするならば、安心して家族で極真空手を学べるようになるのです。私の極真空手に対する思いは他の地域の師範とは違っています。極真空手だけで完結するのではなく、家庭に連結する武道を目指しているのです。
 私は、気持ちとしては、そっとしてもらいたいのですが、反面、使えるだけ使おうとしてもらいたいという思いもあるのです。そして使い古されてしまった古タイヤになった時に、予備のタイヤが必要になってきます。次に続く指導者たちが予備のタイヤになるべきです。そうであって初めて公平になると思うのです。道場で稽古をし続けると、一般の人とは、ちょっと違った人間になっています。それは、極真空手は世界的だからです。道場生の気持ちが世界に向かうのです。そして、世界と繋がっているので、気づかないうちに全世界に連結されてしまうのです。
大山総裁は有名になるために極真会館を出発させたのではないのです。むしろ、人目がつかないところで、稽古をしていたのです。ところが、歳と共に次第に世界の注目を浴びるようになったのです。その時代、注目されていた最中、極真会館と共にあった私は、幸せな立場であったのです。誇りを持って青春時代を通過することができました。そこで学んだことは、人目に付かないところで、コツコツ稽古をするという事でした。さらに、人々が一つの事を学ぶとしたら十の事を学びます。道場生が一時間稽古をするならば、私は、三倍も稽古をするという事です。
熟練された先輩を見て、私は彼に追いつきたいと願ったものです。そして、どんな人が作った記録よりも自分は破って新記録を作るという決意でした。それを自らに言い聞かせてきたように思うのです。そのようにして、選手時代はやってきたのです。そうして、どんな人にも追いついて見せようという執念でした。そして、今は、体系的・組織的に実践しようとしているのです。この地域の青少年を素晴らしくしようという決意は変わらないのです。道場は気まぐれに作っているのではないのです。私の心は果てしなく広がっているのです。私の目的は、もっとはるかに大きく偉大なものだと信じ込むようにしているのです。