2013年12月25日(八段語録1937)

指導者に告ぐ(42)


 私から見るならば、将来の指導者の為の道場での稽古は日々、試験という事です。私はそこに将来の指導者をさがしています。なぜならば、極真の伝統は、稽古で自分の理想を追求するのです。また、世界の青少年が、同じ稽古をしているのです。世界の青少年が、このように同じ稽古をしている団体はそう多くはないのです。だから、例え宮城県本部で、モデルを作っても、世界に伝播するのです。かつて、私は全日本選手権大会では恐ろしいフアイターを演出していました。道場生にとっては、父親のような存在でしたが、試合では激しく恐れられるほどの猛者でありました。
 これまでに、多くの人が入門してきました。そして、道場生には成功してもらいたいのです。自分の能力を発揮して、それぞれの分野でチャンピオンになって欲しいのです。そのような意味では、道場生は私に従うべきですか。それとも無視すべきですか。道場生は極真の道を行かなければならないので、誰が損をするかという事です。究極的に損をするのは、私ではありません。それを果たさなければならないのは道場生であり、大いなる損失をすることになるのです。理由は、今まで、大山総裁の稽古に出て、しっかり稽古をした人のみが、大いなる恩恵を受けたからなのです。もちろん、押忍の世界で絶対服従でした。
 私のいう事を真剣に受け取らない道場生は、真剣に受け取る道場生の後に従わなければならない結果になります。私は「多分こうだろう」という指導はしないのです。私は、極真の真髄を極めようとしたからなのです。そのことを道場生の皆さんははっきり知っておかなければならないのです。道場での稽古は、洗脳ではないのです。道場生の多くは知的で真剣な人々なのです。そして、極真会館の理想がいかに偉大であるのかをはっきり知っているのです。私達の稽古は、極真の理想を支えるという重大な責任を担っているのです。
 道場の稽古に出るだけで、人々は、極真の伝統がどのようなものなのかを理解します。道場生は感受性が強くなり、特別に説明などする必要がないのです。そして、地域の人々と共有するならば、皆さんを特別な目で見るようになるでしょう。昔は、わざわざ演武会をやって、その凄さを披露したものです。今では、特別にそのような行事を行う必要はないのです。ただ、教室で稽古風景を見てもらうだけでいいのです。そうすると、指導者は間違いなく人気者となり、稽古をしたいという人が増えるはずです。稽古が終わったら、道場生は夢から覚めるように思い、指導者に好意を持つことになるでしょう。
 多くの人たちに「この稽古は何と素晴らしものか。世の中の希望だ」と思ってもらえるようにしたいのです。今回ホームページにも動画で稽古風景を載せました。これは、地域の人々に一目瞭然に極真の稽古を知ってもらおうとする試みなのです。見た人は、好奇心を掻き立てられるでしょう。日本の家庭の約半数が崩壊しようとしています。彼らが、動画を見たならば、子供達はこのような環境で教育したいと思うはずです。