2013年12月24日(八段語録1936)

指導者に告ぐ(41)


 極真会館宮城県本部の初期伝統のほとんどは、私が確立しました。当初一般部だけの組織でしたが、四百名の道場生が押し寄せてきました。けれども、師範代でしたので、人々が噂する時は、一線を引いて影の立場にいました。私の努力は、道場生を育てるという一点で歩んだ日々でした。その結実が今の指導者という事ですから、私の初期投資は成功したことになるのです。私は、道場生を極真空手を通して、上のレベルへと引き上げることを最大の念頭に置いたのです。
 そこで、一人の五代も続いた蕎麦屋の店主が来ていました。今では、押しも、押されぬ師範になっているのですが、決して大柄とは言えない体格でした。彼はどんなに惨めな扱いをされても、めげずに道場に通い続けたのです。いつも、店で蕎麦打ちをして、仕事が終わってから、道場に通い詰めたのです。彼の両手は蕎麦打ちをしてきた、綺麗な手でした。それで、組手をするのですから、ごつくなるのも当然です。彼の衣服からは、いつも蕎麦の匂いが漂っていました。誰も道場では注目しようとしません。見たとしても積極的に彼に近づこうとは思われなかったようでした。
 しかし、今二十年目には、立派な師範になっているのです。どうですか。なれるのです。もし、彼が責任を持って引き受け、必死に稽古をしなかったら今の立場はないのです。体は小柄なので、型を中心に的確な指導をしているのです。もちろん、好意を持っている人ばかりではないのです。それでも、ただひたすらに型という専門分野に傾倒し、ただひたすら勉強し、何も語らず、慰めも求めず、いつの間にか、彼の存在に気づき、誰もが羨む、想像を絶する、素晴らしい信頼を得るようになっているのです。そのようにして、誰もが、彼の所へやって来て指導を受けなければならない立場になっているのです。
 もう一人の師範を見なさい。私が極真会館を始めたばかりなのに、最初から最後まで、付き従ってきたのです。彼は、自分の人生の何たるかを極めようとして、社労士の受験を試みていました。しかし、もっと大きな国家資格があると、耳打ちするや否や、取り掛かり、相当な期間を経て、見事合格しているのです。そればかりではなく、極真会館が営利目的の団体ではなく、青少年教育に熱心であるという事をしっかり認識して、指導に当たってきたのです。極真会館の財務の切り盛りもしながら、着実に進歩しているのです。道場が、教育というジャンルだけでなく、それ以上の大きなものを生み出すという事も悟ってくれているのです。
 そうではありませんか。彼は私と一つになって、完全に自分の能力を活かすようになったのです。そうして、彼の人生に奇跡を起こしているのです。これらのことは、決意すれば、誰でも、ひとかどの人間になれるという証です。道場はそのような所なのです。私が彼に電話をして、極真会館宮城県本部に責任を持ってくれとお願いしたのです。彼は、どんな役割でも引き受けることのできる有能な人間になったというわけです。だから、指導者の皆さんには、彼らから尻を叩かれても、厳しく訓練されても、頑張るようにという指示をするのです。それが、代表としての私なのです。当然泣き言は聞きたくありません。