2013年12月23日(八段語録1935)

指導者に告ぐ(40)


 極真会館が生き残れるかどうか。また、日本の希望、そういったものが指導者の双肩にはかかっているのです。指導者として十年、二十年続けてみるのです。私が指導者に願うのはどれだけなのです。途中下車した指導者もいましたが、同じ空手道を歩んでも、極真会館には関係のないことになってしまうだけです。いつの日かただ忘れられてしまうだけです。この歳になって考えることは、自分の墓が荒れ放題になって放置されるようになってしまわないようにという事です。せめて、家族と極真会館の指導者には、思い出してほしいものです。
 六十歳代になった、私は年を取り、疲れ、隠れたいと思うようになるけれど、多くの人が探し出し、もっと指導してほしいと願う事です。ただ、結婚して、自分の家族だけ面倒見るという生活、そのような生活を私は想像できません。私も極真空手に出会わなければ、他人の事に関心を持とうとしない、情けない人生を送っていたと思うのです。極真空手は、私を召命し、私の人生に栄光を与えてくれました。私には稽古という修練が与えられ、このような修練の中で、心と魂を引き上げられ続けてきたのです。道場の修練とはそのようなものです。それと同じような事を指導者の皆さんにしてあげられることなのです。それ以上の何が期待できますか。
 極真会館が生き残れるかどいうか、また大きく言うならば、この国に希望が持てるかどうか。そういったものが、指導者に皆さんの双肩にかかっているのです。とにかく続けてください。そのうち皆さんも分かるようになります。青少年問題は極真会館に聞けという時代が必ず来るのです。つまり、指導者の皆さんを必要とする時が来るのです。指導者は、青少年を引き上げることができるのです。そのように考えたら、疲れなど感じる暇がないのです。私の人生の絶頂は四十歳代から五十歳代でした。その頃が依然エネルギッシュであるだけでなく、経験と知恵がついている人生のもっとも良い時期だったのです。
 結論として、またしつこく言うのですが、途中で逃げ出してはなりません。わかる時がきっと来ます。十年か二十年たったころ、指導者として自分の努力の結実を収穫できるようになります。もちろん、私も体力の衰退期にある六十歳代に突入していますが、だからと言って、極真精神を失わないし追いかけていく事に必死なのです。宮城野区の保護司、社会福祉協議会、警察、市や県を問わず、忘年会では極真会館の話題で一杯になります。人々が私の行動を見て、いつしか尊敬するようになっているのです。私は一言も語らないのですが、その行動を見て、人々は噂をし続けるのです。そのようになることを指導者は願うのです。一つの目標を持ち、その目標に向かって昼夜なく活動し続けるべきです。やはり、道場生に対しては、偉大な指導者に訓練したいという思いなのです。