2013年12月22日(八段語録1934)

指導者に告ぐ(39)


 もし、私が極真会館を去るようなことになるならば、一度たりとも振り返ったりはしません。私が荷物をまとめて、極真を去るような時は、全てを捨てて人生を過ごすときです。私の逃亡を見ることが無いようにして欲しいだけです。今のは冗談ですが、ところで、この極真会館を去らせないでいるものは、何でしょうか。それは、今に至ると家族と弟子達である道場生なのです。このように、極真会館宮城県本部を支えようとしている家族、スタッフ、絶対的な求道精神を持っている指導者の皆さんが、私をつなぎとめているのです。
 この極真会館で成功したければ、指導者の皆さんは、修練を積まなければならないのです。それが、私の生き方なのです。そのように修練を積むことを、微塵も変えようとは思わないのです。両親から故郷に帰るようにと指示を出された時には、私は関西を黙って立ち去るしかなかったのです。私が、関西での地位や名誉にこだわっていたならば、仙台に来ることさえなかったのです。ましてや妻が反対したならば、移動は無理だったのです。その時、直ちに出発したのです。私は、真剣に両親を思う心を持った男だったのです。
 今考えれば、次女は生まれたばかりでした。息子も三歳になって、長女も一歳を超えたばかりで、避難民のような状態になったのです。そこで、故郷に帰るや否や、大学で勉学に励んだのです。その時のバイト先のスイミングの支配人が北山事務局長でしたから、縁は不思議なものです。三年半に渡って、スイミングのコーチを続けたのです。卓球の福原愛ちゃんもプールに通っていて、指導をしたものです。子供達も、北山事務局長に世話になり、よくイベントに連れて行ってもらったのです。極真会館宮城県本部のスタッフの中で、私と一番長く付き合っているのは、北山事務局長という事になります。稽古は共にしませんでしたが、今の国見教室や将監教室の原点は北山事務局長の配慮からだったのでした。
 さて、極真会館宮城県本部の重要なミッションについて、十分に述べてきましたが、その重要性が少しずつ理解してもらえたのではないかと思うのです。指導者の皆さんはこれからの極真会館がどれほど重要なものであるか知っているでしょうか。この極真の指導者という事にどれ程の責任ある気持ちを持っているでしょうか。このような極真の大きな可能性を含んだ、役割の一部でもいいから実現してくれたらと、私は期待しているのです。指導者の皆さんに新しい希望を持っているのです。指導者の皆さんの役割はとても重大であり、日本の運命さえ指導者の皆さんの双肩にかかっていると思うのです。このことを、骨の髄まで感じる人が、立派な指導者になります。