2013年12月14日(八段語録1926)

指導者に告ぐ(31)


 極真会館の指導者への道は、かなりハードルが高いのです。何故なら、道場で修練を受けなければ、話にならないのです。私は、四十年の間、訓練され、あらゆる環境の下で修業してきたのです。池袋本部―北海道高木道場―広島森道場―香川長谷川道場―池袋本部―関西本部―宮城県本部の七か所です。そして、色々なトラブルに出会いました。ちょうど、青春の旅立ちのような歩みです。
それで、修練を受けてどうであったかというならば、勇気を失った訳ではないのです。それでも、私は修行の途中にいるのであり、目的地は前方にあるのです。それが重要なのです。これは、指導者の皆さんにも当てはまることです。道をふさぐものがあるといっても失望してはなりません。指導者として修行路程の中の本質的な点を知らなければなりません。
自分がダイヤモンドなのか、黄金なのか、どのような宝石なのかを磨くわけです。もちろん、生計を立てるという事は並大抵な事ではないのです。それでも、修行を続けて、後に続く弟子たちを育てなければならないのです。何か自分が守られるという事を期待してはならないのです。この修行という大原則を維持して前進することが必要なのです。もし、修練を途中で挫折するようなことがあったならどうするのですか。おとなしく引き下がってしまうのですか。私は大声を上げて泣くばかりにしかならないのです。決して引き下がらないのです。
ところで、話は変わるのですが、私達の夫婦は、驚かされることが多いのです。どうしてこのような理想的な出会いをしたのかと今でも、神に感謝するのです。我ながら不思議に思います。見れば見るほど自分が自分に驚かされます。極真の修練をしていく上で無くてはならない人なのです。北海道高木道場の時に出会いました。その出会いで、その後の極真の道も、苦労とも思うことなく、過ごせたのです。いつも優しく美しい存在として、私を支えてくれたのです。
出会ったときには、あらゆる細かい点について、知る由もなかったのですが、時間がたつにつれて、何とうまく合っているかという事に驚かされるのです。例えば、私は四六時中怒ったような顔をしているのですが、私の妻は普通「目が笑っている」あるいは「笑った目をしている女性」なのです。私は妻から良い性質をもらい、そのうち、一緒に良い関係を築くことができ、お互い良い所をもらい合うようになったのです。
妻は、「ああ、私の夫はもっと何とかならないのだろうか。もっと鍛え上げた体にならないのだろうか、もっと優しくなるように」と支えてくれたことになるのです。妻は私に一番似合った性格を持っていたのです。理想的なマッチングだったのです。そして、そこから生まれてきた子供たちは、私に心配をかけながら、掛け替えのない子供達として育っていったのでした。この出会いが、私が極真の道を歩み続けられた、最大の要因であったようにも今思うのです。