2013年12月11日(八段語録1923)

指導者に告ぐ(28)


 極真会館は、間違いなく未来と関連しています。そのような意味では、道場に関心を持ちながら、歩むべきです。有段者になったからと言って、安心して、道場に通わなくなってしまっては話になりません。さもなければ、極真会館という歴史の中で、ただ消えて行ってしまうだけです。将来の指導者の資格は「極真空手について熟知していること」という事になるのです。また基本的知識は、道場での指導ができるという事になります。極真空手を良く知っていること、それと極真空手を指導できること、このことが将来指導者としての資格を持つための基本的条件となるのです。
 新しく入門してきた人は、私の事を余り知らなくなっています。私は、極真空手が世界の中でその威厳を維持するようにあらゆる努力をしてきたのです。指導者としては、毎日そのような意識は必要な事です。毎日遊んでいては、何も前進はないのです。あたりを見渡して、不利になったら逃げてしまうようでは話にならないのです。そのような気持ちで、極真空手を愛していると言えないのです。実際に極真空手を愛するという事は、とても難しいことなのです。
 私は、新しい指導者を、訓練し、そこから道場の指導ができるようになり、運営まで携われる人物に育てたいと思っています。私は四六時中、そのような事を考えていますが、現状維持だけに疲れてしまっている人が多いようです。今まで、極真空手の歴史は、穏やかではないのです。特に、大山総裁が亡くなってからは、嵐吹きまくる、厳しい時代があったのです。荒れていた時代などは、波間に、挟まって何も見えなくなっていたのです。そのような時も、お互い励ましあって、今があるのです。ある意味で、本当に刺激的な事なのです。どう考えるかによって、どう生きるかによって決まってきたのです。
 もし思いが積極的で目的に向かって、喜んで自らを奉仕する精神を持っているとするならば、これからは、指導者の皆さんは何でもできるはずです。私が総裁亡き後に、このような精神でなければ、会長と一緒に歩んでいくことはできなかったのです。この宮城県本部さえ、誰からの援助も受けることなく、多くの資金を使い投入してきました。そして、どんな苦労も微笑みながら応答してきたのです。皆さんを導いている私は、そのような人物という事なのです。例え、離れていった人にさえ、何の恨みも抱いていないのです。
 どのような苦難が襲いかかろうと、びくともしませんでした。そして、私の武道精神を誰も打ち負かすことはできないのです。機会があるごとに、誰かが私に対して牙をむいてこようとも、関係のない歩みをし続けるだけなのです。極真空手は、私達の生活の中心にあるのですが、それだけではなく、教育、芸術、文化、政治の分野にも関心を持ってきたのです。だから、普通の空手家で私のやっていることは理解に苦しむという人が多いのかもしれないのです。ある意味で大きなスケールで物事を見ることができないのです。
そのような意味でも、これからも重要な企画を立案しながら、多くの指導者を教育していきたいと思っているのです。