2013年12月10日(八段語録1922)

指導者に告ぐ(27)


 努力を惜しんでは指導者としての生きる道はないのです。既に古くから確立されている空手道において、極真空手のように新しい伝統を打ち立ててきたという事は、非常に難しい事だったのです。それだから重要な点は、これから指導者に能力があるかという事が問われるわけです。私が、どれほどの能力があるかという事が問われたわけですが、正直言って、そんなに優れているとは思えなかったのです。ただ、極真空手としていくべき方向性を管理統制することはできました。私にとってはそれが重要だったのです。つまり、各家庭を大切にし、青少年教育に最大の努力をするという方向だったのです。
 ようするに、道場生を管理し、面倒を見るにしても、家庭という方向性を提示して、着実に実践していくことなのです。あらゆる道場の基本公式を作り、教室の管理に当たっては、その基準に従うのです。道場の方針は、特別に才能のある選手を教育して、広告塔にすることでは無かったし、つもりも無いのです。それでも、各大会で優勝するのですが、それは、教育の過程に過ぎないと割り切ってしまうのです。大切なことは、道場生一人一人を、しっかり教育するように最善を尽くさなければならないという事なのです。そのような意味では、指導において、この道場の指導理念にあっているかどうか、定期的に点検する必要があります。そして、各教室が、理念の維持のためのチェックシステムを作るべきです。そのことを、多くの指導者が修正できるようにするべきです。何か大会で優勝させたことを誇りに思う指導者もいるようですが、はっきり言って間違いです。よく考えて下さい。その道場生が、指導者となって、次の世代を担うようにならなければ、喜んではいけないのです。その為には、単発での喜びは禁物です。長いスパンでの勝利を目指さなければ意味がないのです。
 しかしながら、指導者が、納得できず、助けが必要ならば、菅野師範に来てもらって一緒に膝を交えて話し合うべきです。「徹夜しても問題を解決すべきである」と、私は指示を出すのです。指導者の皆さんは、そのような経験が必要です。私の場合、五年に渡り、菅野師範と膝を突き合わせ、帰りが午前零時を過ぎるという事が、当たり前でした。大友師範とも毎日話し合いをしたものです。振り返ると、私があらゆる方法を教えたというよりは、逆に両師範からの提案のほうが多かったのです。道場運営は指導者のエンジンであり、心臓部です。とても重要なのです。道場運営が良くならなければ、道場は死に体になります。道場で問題がある場合は、即座に師範が向かわなければならないのです。当たり前ですが、型と組手は習得しなければならないのです。「私は、組手は得意だが、型は苦手である」などという事は許されない時代に突入しました。両方とも体得しなければならないのです。そうすることによって、道場に責任を持つという伝統を立てなければならないのです。
さらに、道場生の一人一人の名前はもちろんの事、性格、家庭環境、すべて把握して、メモを取ります。そうすれば、いつ何時でも対応できるのです。そのようなシステムを作り、道場との絆を深めます。そうすることによって、道場生への忘却内容をカバーできるのです。これは大きな責任なのです。そして道場生への対応は、最大なものになるはずなのです。私の場合、教室が始まる前は、道場生の名前を読み上げて、チェック項目を並べて、どのように指導しようかと、思い悩んだものです。その時間が、稽古の時間を上回ることがほとんどでした。それほど、道場生に関心を示し、愛情を注いだのです。