2013年12月7日(八段語録1919)

指導者に告ぐ(24)


 私は、歴史が好きでした。この極真会館を歩んでいることが、武道精神として、必ず感謝される時が来ると確信しているのです。私の青春時代、特に1970年安保闘争の時は、当時、学生が労働者を支持し、帝国主義打倒のデモを繰り返していました。しかし、彼らの弱点は、共産主義運動を展開する中で、彼らは労働者としての仕事を、経験したことがなかったのです。彼ら自身、最前線での仕事をしていませんでした。私はそのような活動と全く違っているという事が言えるのは、極真空手を経験、継続していることです。
 それは私自身がそういう分野を追求し、一生懸命稽古してきたからなのです。武道を追求するという事がなんであるのかという事の、努力とその結実を知っているからなのです。そこが、安保闘争を展開した当時の学生と、私の決定的な違いなのです。彼らは跡形もなく消え失せてしまいました。かすかに、残党が残っているのみです。今の共産国家というものも、労働者の楽園とは程遠い存在になっていて、役人の汚職と腐敗がはびこり、カール・マルクスの標榜した世界とは全く異なっているのです。
 私が、道場生に極真空手の技や精神を要求するときには、いつでもその前に自分で経験したことを要求しているし、そうでなければ、自分で試しているのです。そのような意味では、私に向かって何か不満を並べることはできないのです。もちろん、この時代の、試合ルールもあるでしょう。それは学ばなければなりません。まして、オリンピックを目指すならば、ルールはそれなりに変化するはずです。そのような意味では、時代に対応しなければならないという事は、至極当然な事なのです。ある意味では、新しい時代に向かって、指導者の皆さんを助けはするけれど、指導者自身が自分で研究し調査しなければならないという事になります。ルールがどうこうという事で、私が反対することなど、決してありません。未来に向かって当然なことだと思うのです。
 結論として言いたいことは、指導者として、自分の基盤も築かなければなりません。自分の弟子も育てなければならないのです。もちろん、家族が極真空手に関心を持ったならば、それだけ自由になるし、活発な活動になります。私は、東西南北に原型となるべく、基盤をきつく努力をしてきました。その基盤の上に発展することができるはずです。そして、あらゆる研究や調査を進めるべきです。そして教室の改善をする方法を絶えず考えるべきです。私達の未来は無限に開かれているのです。指導者は、くどいようですが、想像力を働かせながら、自分の基盤を築かなければならないのです。