2013年12月1日(八段語録1913)

指導者に告ぐ(18)


 試練や、困難を憎んではいけません。憎めば自分の心が乱されるだけです。我々は、冷たい世間の評価や、嵐模様の現状であっても、すべて受け入れることができなければならないのです。いつでも、四肢五体を使って、極真空手を通じて神技を体得しようとしているように、環境の全てを受け入れて、自ら強くすることなのです。毎日試練や困難ばかりの日がやってくるのではないのです。心静かにして、穏やかな環境で、鏡の表面に移った自分の姿を見て、自分の培った、心技体の力を知るべきです。当然、穏やかな環境ばかりであるとは限らないのです。それが、大きな試練となって、自分の上に襲いかぶさるかもしれないのです。それだから、たえず自分のうちに秘める力を最大にすべきなのです。
 一滴の水を見てもそこには色がついていません。しかし、もっと多くの水を集めると美しい色が現れ始めます。それは実に美しい色に変化します。更に、水は生命を与えます。人間の肉体の60%以上は水分なのです。水の中を歩き回ると、体がとても楽になります。そして、不思議に水は、生命の自然な味なのです。道場で稽古をすると、全身から汗が噴き出ます。その瞬間は、素晴らしいものです。これが、水の持つ美しさという事になります。あらゆる生命との密接な関わり合いの中からあらゆるものが生まれてくるのです。つまり、武道や芸術、文学を創造することの源泉は水にあるかもしれないのです。そして、汗を伴って稽古をしなければ、極真空手の奥義を味わう事は出来ないのです。
 私の家のそばを梅田川が流れているのですが、静かな日川を眺めると、突然小魚が水からちょっと跳ね上がります。まるで何かを探しているかのように跳ねるのです。それは、私自身を見ているようにも見えます。私の心と体が平穏な時には、魂が飛び跳ねて、何か良いものを探したいと思うようになるのです。だから、そのような観点から見ると、私達の生命がなんであるか分かるような気がするのです。
 また、太陽と月を見ていると単純な動きに思えるのですが、自然を観察すると、動いている波、踊っている風などの事を思えば、それは、太陽と月の間で、美しいものになるのです。太陽と月は単なる輝ける球ではなく、自然の中で、もっとも美しく輝くのです。また太陽を、観察すると、何かイソップ物語ではないのですが、人の笑顔を描くことができるのです。そのように自然を味わいながら、深い経験をすべきなのです。そうすることによって、良心への無限なる刺激を得ることができるのです。
 もうあっという間に、11月も終わろうとしています。明日からは12月です。文字通り師走なのです。とにかく一生懸命走りぬく年にしたいものだと思うのです。苦労もあるけれど、醍醐味と楽しみにして、歩もうではありませんか。それから、今回から、審査会の動画を載せました。私の挨拶から、組手の審査、型の審査の場面と載せました。これは、道場生の刺激になればという事で掲載しました。八段語録も、私が話すとこのような表現になるという事です。よろしくお願いします。