2011年5月13日(八段語録1312)

復興への道(29)

 手塚会長の元弟子が率いる大きな派閥は、今も尚保守主義を取り、他を受け入れない体制を維持しているのです。それは、まさに極真会館そのものの地位の低下を促し、自然消滅へ駆け下っていく前兆に他ならないのです。
 最初の対応は、最高裁の裁判に敗北して、自ら極真会館館長の継承者を名乗ることができなくなった所から始まります。つまり、寒風から自らの組織を守る為の障壁の構築ということになるのです。
 そして、その障壁は、大山総裁の意図とするところの国際的な基準を満たすものでは無くなっていたのです。それは、組織そのものを脆弱にするだけにしか、第三者からは理解する事ができない防御だけということになります。
 この団体は、1994年、大山総裁が無くなってから、すぐに立ち上げ、興った現象でした。今まで、仲睦ましく活動を共にした弟子たちから、極真会館という名門の組織を、自分だけの組織だけが正当であるという主張をする為に、他の団体から遮断する方針に出た訳なのです。
 それは、敵対する内部に障壁をつくるだけでは無かったのです。武道団体としては、珍しい方針として、決して他の団体の選手を大会に受け入れないという方針に出たのでした。地上最強の空手を提唱してきた極真会館が、強さにおいても壁をつくったということになるのです。
 そして、このような特殊な大山総裁の意図に反する政策は、無残にも失敗に帰してしまったのです。フルコンタクトの武道空手と言えば、極真会館ということから、アマチュアでは無く、興行として営利目的とするK-1や、プロを有名にしてしまうという、失態を繰り返すという方向に転換してしまったのでした。
 それは、プロレスの興行となんら変わらない人気だけの、形骸化した存在に見られるようになったのです。武道空手の精神まで、興行の餌食なった事は、何とも言えないもどかしさを感じるのです。私達の目指した大山総裁と築いてきた極真空手は、武士道であり、興行では無いのです。
 空手本来の精神を、興行に依存するようになっている現実なのです。それゆえ、その興行へ極真空手が挑戦するなどという、とんでもない状態まで落ちぶれてしまったのです。本末転倒も甚だしいのです。そして、気高き極真空手が、K-1のような立場と比較されるようになるのですから悔しさがにじみ出てくるのです。
 しかも、極真空手が、生き残る事さえできない状態にあると思い知らされるのです。私が歩んだ極真空手は、自らの今まで極めた技を競う事が主だったのです。その大会におけるスタンスは、アマチュアであり、金儲けの手段としてのプロの道とは、全く縁が無かったのです。その事を誇りに歩んできたのであり、このような極真会館の再興を目指しているのが、私達が活動しているという事を肝に銘じて歩みたいと、ことさら思うのでした。