2013年11月30日(八段語録1912)

指導者に告ぐ(17)


 あくまでも、指導をする者の評価は、次の世代の人たちなのです。道場生が本当に尊敬することができる人物になるべきであり、私たちが現在あるのは、そういう人たちの為なのです。だから、私たちの役割は、未来のビジョンを持っていなければならないのです。もう既に、道場生が何千人と卒業していきました。卒業はまだ早いのですが、仕方がありません。その人たちに尊敬され、次の世代の人たちもずっと尊敬されなければ、伝統など立つはずはないのです。そして私たちは、未来の人たちのために、敗北者ではなく、勝利者にならなければならないのです。私の意識はいつもこのような思考形態でいるのです。
 初期の宮城県本部において、道場生が私に反対し、誤解して去って行った人たちも多かったのです。しかし、今では過去を振り返り、私がやってきたことを見ながら、私が正しかったことを認める人達も多いのです。同じことが指導者にも言えるのです。私が、還暦の時、このように振り返るのですから、その時が来たならば、指導者の皆様も人生を、着実に推し進めていくならば、私のように振り返るでしょう。多くの人たちは、私が立ててきた企画は、最初は小さな目で見ていたのですが、継続するにしたがって、多くの人の目はだんだんと大きく広がっていったように思えるのです。
 ともあれ、この極真会館は、日本人だけという範囲だけで終わるのではないのです。それは、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカと拡大してきたのです。ある人から見るならば、極真会館は不可解なように思うかもしれないのですが、結果、大山総裁のはっきりした計画と目標は着実に根付いてきたのです。十年たてば、なぜ今このような計画を企画しているのか、なぜ、現在これ程の努力を注がなければならないか、必ず理解される時が来るのです。この極真会館の歩みが、「偉大な歩み」であると評価されるはずです。
 これから冬に向かっていきます。寒さに向かっていくことを好きになるとは思わないのですが、寒さの厳しい朝こそ、その中に人生の何たるかを感じることができるように、自らを開拓しなければならないのです。この寒さの向うにあるものを見通さなければならないのです。指導者の皆さんは考えたことがありますか。寒さは嫌なのですが、日本には四季があり、その刺激を受けようとすべきであるというのです。この寒さを趣と感じることなのです。
 当たり前ですが、寒さを嫌だと思ってはいけないという事です。嫌だと思えば自分の心が乱されます。私たちは、この自然の寒さも冷たい水も、寒空もすべて受け入れるべきです。いつでも両手両足、体全部を使って自然を受け入れるべきです。毎日そうやっていくと、色々な寒い日があります。静かな日、風の強い日、これから雪が降る日等、自然界に映った自分の姿を見て、その自然の力を感じ取るべきです。自然は、あらゆる力を内に秘めて、いつ、どのような形で、私たちに向かってくるのかわからないのです。
ちょうど、男性そのもののような気もします。興奮したり刺激を受けたりするのですが、次の瞬間には心が落ち着き、自ら「感謝」を持った気持ちになります。もちろん女性もそうでだと思います。私には女性としての実感はないのですが妻の姿を見るとそのようにおもいます。ちょっと横道にそれました。