2013年11月24日(八段語録1906)

指導者に告ぐ(13)


 皆さんは指導者という事については、それほど考えた事は無かったかもしれませんが、今回私が書いている内容に照らし合わせて、新しい観点から見るようになって欲しいのです。本当に指導者を目指そうと思うのでしょうか。大変な努力が必要です。道場生として歩んでから、指導者を目指すという事は、大それたことなのかもしれませんが、私と道場のこれからの事を、考えた指導者であるならば、私と真剣な稽古を繰り返したことを思い出すはずです。それとも、私と無関係であったのでしょうか。実際、これからが指導者としての出発の一端が、過去の稽古のにあったのです。そして、新しい人は、先輩の伝統を継承すべきです。
 これから指導者として訓練を受けようとする道場生には、各師範が提示する教育プログラムに則って、その計画に従って過ごすという事に専念してください。過去の誤った人達が反面教師となるのです。だから、しっかり受け入れてほしいのです。面白いと思います。もう既に、極真の夢を見始めて良いのではないかと思うのです。稽古自体、年数を多く過ごしている指導者はこれからの夢を見るべきです。
 現状に留まっていますか。少なくても、極真の夢を追いかけてください。私が説得などしなくても、指導者として地位を得るのが宿命であるように考えて歩むのです。極真の道は、曲がりくねった道ですが、努力が無意味になってしまうという事はありません。何度も言うようですが、極真空手は私達の誇りなのです。
 道場で指導的な立場に立っている人は、各師範の指導を受けて、一般の道場がやっているような事を実践していては、話にならないのです。稽古内容をより研究して、そのリストを眺めて、道場生にとって不必要なものであれば、排除して、絶対になくてはならないものだけを活用すべきです。無駄な稽古はなるべく少なくして、しかも稽古の質は高いものとしなければならないのです。ただ注意を怠らないで、極真魂さえあれば良いのです。
 最初の私の問いかけに戻って、仙台市内に十か所の教室を拡大するという事を念頭に置いてください。そのことを実行するには、生活様式の変換を意味しているということを考えるべきです。もちろん、自分のこれからの夢をよく考えて、未来の極真会館の基台となるべきです。それは、真の、そして永遠の基台となります。それは決して消滅することはないのです。