2013年11月19日(八段語録1901)

指導者に告ぐ(8)


 結果を得るまで正当な立場で、自らを投入しなければならないのです。過去は、事実として残るのです。そして、それを継承することができる人が、次の師範になるのです。自分勝手に言いふらしてはいけないのです。少なくても、私の良きところを見習わなければならないのです。指導者の皆さんに聞きますが、最高を目指しますか、それとも候補者だけに留まりますか。どうしても、指導者には、道場生は必要なのです。ただじっと座っていて、道場生が皆さんのところにやってくることだけを期待して待っているというのですか。指導者は何をすべきでしょうか。
 指導者は何かを始めなければなりません。何かが起きるきっかけを作らなければなりません。今は解剖学や生理学を学んでいるのですが、色々な事を考えさせられます。鼻で何の匂いを嗅ぐのでしょうか。耳で何を聞くのでしょうか。手で何に触れるのでしょうか。とにかく指導者は何をするのでしょうか。指導者とは、道場生のために匂いをかぎ分け、道場生のためにあらゆるものを聞き、道場生のために手で触れなければならないのです。
 私の農場には、クモの巣がたくさんあります。巣にクモが見当たらない場合もありますが、そのクモの巣に何かが引っかかるとすぐにクモが現れます。必ず現れてくるのです。それと同じように指導者は、何かが引っ掛かってきたならば、何だろうと思って興味を示さなければならないのです。物事に対してクモのような感受性を持たなければならないという話です。もし持ってないとするならば皆さんはクモのレベルまでも達していないという事にもなります。
 私の農場では、クモは新しい場所に移動したならばすぐに巣をつくり、クモの巣を作ります。つまり、ネットワークを巡らせ始めるのです。クモの巣を正確に作っています。間隔と間隔の間を正確に移動しています。そうすることによって糸が連結されるのです。それをじっと見ているとクモは何千回と行います。まったく技工士のようです。その巣作りを考えている様子もありません。ただ黙々と作っているのです。そして、昆虫が巣にかかると、その虫を包むことでした。何であるかを調べる前にそうしているのです。つまり、巣を作って、それに何かが触れたならば、出ていて真っ先にそれを捕まえます。それから見て、何を捕まえたのかを判断しているようです。
 要するにクモの考える事すら行えないようでは、指導者は一体何になれるかという事です。道場を運営する上で、お金を持っていたとしても、道場生が皆さんについてくるとは必ずしも言えません。最初に人材を教育すれば、すべての環境が整うという考えが私にはあるのです。そして、行動を起こすことを決意したとして、どのような方法を指導者は用いるのでしょうか。自分の考えを、率直に師範に報告すべきです。そして、公認を得て実践するのです。そのような事を理解したならば、歴史を刻む人物になれるし、本流として発展するのだと思うのです。