2013年11月17日(八段語録1899)

指導者に告ぐ(6)


 結果的に道場生の尊敬と信頼を勝ち取らなければならないのです。指導者に必要なのは人です。誰をどのように教育するのかというプログラムを構築しなければならないのです。ただ、稽古をするようでは指導者としては失格です。自分の弟子を探して出さなければならないのです。そして、育てるために考えられないほどの人を教育するために、陣痛の苦しみを経験しなければならないのです。
 それは、手とり足とりの指導なのです。ちょうど、一つの大きなステーキを飲み込むようなものです。そのステーキは胃袋に留まっているでしょうか。それを消化する能力を皆さんはもっているのです。このような事と同じように、教育は、第一に飲み込んで、そして何度も何度も消化していくわけですから、挑戦し続けるという事になるのです。自らをすべて投入するという事です。そのように何度も道場生の面倒見るようするのです。
 私は、行動が鈍っていたとしても、確かな考え方を持っているのです。そうすることによって、何でもできるようにしたいのです。自分の考えが自分を導くようになるからです。世間には色々な考え方があります。結論的にただ黙ってじっとしているだけではだめだという事です。自分の確かな考え方は、自分自身の物語、自分自身の小説を作るようなものです。その小説の中で英雄になるという事です。
 考え方はシナリオという事になります。それに従って、実生活の中でそのドラマを演じるわけです。それが人生であると考えているのです。どのような行動を取るかという事も推測するのです。私がある行動を取って、それに対して道場生はどのように反応するのか、それからその後、道場生がどのようにするのか、それを計画し実行するという事になります。私は、そのようにして、今まで道場生を教育したし、更に、子供の教育を実践してきたのです。結果は実証されるわけです。
 そのような意味では、指導者の皆さんは私の実践してきた思考の理由は理解できると思います。結果が出ていることなのです。それが、これから誰の責任分担になるのかも考えてほしいのです。もうすでに私はこの人生の中で経験してきたのです。もう60歳にもなります。私は今も指導者の皆さんに教えていますが、どのようにして基盤を拡大してきたという勝利の道筋は教えているはずです。指導者としての皆さんは、それを実践し、前進させて、心の底からこれらの事を行うのです。何度も言うようですが、ただじっと座って、部屋に閉じこもり何もしないという事は私には理解できないのです。
 指導者は、道場生を追いかけていかなければならないのです。もちろん、小者ばかりを追いかけていてはだめです。大物を指導すべきでしょう。努力を重ねることによって、人と違った生活をして、勝負しなければならないのです。誰よりも多くの事をし、より多くの能力を使わなければならないのです。
 皆さんは、ただの道場生ですか、それとも指導者なのですか。自分の手、足、腕、全部を活用して、人生の勝利者になるべきです。ただ高い地位の指導者に置かれるだけでは、詐欺師と同じになってしまいます。