2013年11月14日(八段語録1896)

指導者に告ぐ(3)


 指導者は指導者候補を育てなければならないのです。道場生がたくさんいる中で、将来を見越して、どの道場生が最高の指導者になる可能性があるかを、よく指導しながら観察するのです。指導者が将来、道場を任せたいと思う最高の道場生がどのような道場生なのかを心に決定して教育すべきなのです。決定した以上は、絶対に逃がさないという決意をもって、自分が持っている全てを投入するのです。
 そして決定した道場生の心を掴むまで指導し続けるのです。かつ魂の全てを投入するのです。そして寝食を共にするような覚悟をもって、「どのように育って欲しいか」を打ち明けるのです。極真会館の伝統と将来の希望を話しつつ、最高の団体として育てたいと伝えるわけです。その選んだ人物が指導者の考えに同意したならば、一緒に指導できる立場まで更に訓練するのです。
 しかしながら、最初から指導者になることを話す必要はありません。その道場生は選手として大成したいと考えているかもしれないのです。そのような意味では、いかに優秀でも指導することに興味を示さないかもしれないのです。その道場生の得意分野を誇りと思っていれば、それを伸ばしてあげることが先決なのです。そして、指導者が選手系であるならば、組手の稽古をする中で、技に磨きをかけてあげることも必要なのです。そうすることによって、リーダー教育は進んでいくのです。
 成功という事に関しては、選手としての分野で成功する道場生とか、教育者として成功する道場生とか、様々なのです。選手系ならば、指導者と道場生との関係がより発展し、さらにお互いが信頼しあうようになれば、「チャンピオンとしての立場を超えて、その強さを正しく使うために、頭を使わなければならないこと」を指導し、賢くならなければならないことを教えるのです。「君は頭でこうしなければならないと思っても、体が必ずしも動いてくれない場合があるのではないか」等、話をするようになることが好ましいのです。「どのように人生を闘うべきなのか、またなぜそのようにしなければならないのか」という事も、自分の意見を述べることも必要になります。そのような会話の中でも道場生に指導はできます。教育者系においてもしかりです。
しかし、指導者として一つだけ避けるべき点は自分自身に限界を課すことです。私は組手が苦手であるとか、一番やりたくないものを強調することです。指導者は何でも可能性を秘めるべきなのです。
 限界を話すことは実に滑稽です。私の場合、型が苦手でした。その苦手な私が予想しないような型をやってしまいます。そうすることによって、型のやらない私を見て、耳を傾けてくれるようになるわけです。私はこのような事を、無理に実践し長い間研究もしてきました。私も限界があるのだけれど、それを超えてやっていくという姿勢を示すのです。
 指導者にとって苦手な分野は必ずあります。それでも極真会館の指導者なのです。だからやり方は知っていてもやれないことがたくさんあるのです。たくさんの分野の専門家であるけれど、それが指導者にとってできるとは限らないのです。