2013年11月12日(八段語録1894)

指導者に告ぐ(1)


 指導者に必要なものは何でしょうか。道場生が必要ですか。それとも経済的繁栄ですか。(道場生)です。指導者とは、道場生を必要としているのです。さて、どんな道場生でもオールマイティーに稽古ができるでしょうか。道場生にはあらゆる種類の人間がいます。教えることができる人とか、組手が上手な人とか、型が美しい人などがいます。あらゆる道場生がおります。どういう指導者が必要なのでしょうか。
 私が指導者に要求することは、また道場生が望んでいることは、武道精神を優先し、道場生に仕えることができる人です。そのような人は、与えられたどのような責任においても、正常に、そして正しく役割を果たすことができるのです。私は、道場を代表し、武道精神に乗っ取って、喜んで活動することのできる人を必要としているのです。
 そのような人はどのような人でしょうか。そのような人は道場生を喜びでもって引上げ、武道精神の道に従わせることができる人です。私はそういうことができる指導者を必要としているのです。優秀な道場生を作り出すためには、そのための優秀な指導者が必要なのです。
 例えば、道場で、指導者が、その元で道場生が稽古をするとき、指導者は道場生を十分に稽古したのち、指定された大会に送り出します。道場生が優勝すれば、あるいは入賞でもするならば、成果が報われたことにもなります。道場生は道場で稽古を通じていつも練習して、いつも戦ってきたのです。道場生はこのようにして指導者によって自分を磨いていくのです。
 道場生が成果を上げて初めて指導者として誇ることができます。ただそれだけでは私の願う指導者ではないのです。指導者は道場生を募集しなければならないのです。私はそれをやってきました。誰が募集するのですか。指導者が募集しなければならないのです。そのことを棚に上げて、誇ることなどできないはずなのですが、いい加減になっていることが多いようです。
 その教室で指導者の代わりに新規をやってくれる管理責任者はいないのです。事務局ばかりに任せるようでは、主体性が失われてしまうのです。誇りもそうです。ということは、指導者が、新しく道場生を集めて、その中からチャンピオンを作らなければ、まだ不十分であるというのです。もちろん、指導者がチャンピオンにならなければならないし、道場で指導者自身が定期的に自分を訓練することのできる技術を身に着けなければならないのです。指導者は、道場生を集めるべきです。当然、道場生と稽古を行う前に、指導者があらゆる能力を身に着けなければならないのです。