2013年11月9日(八段語録1891)

礼儀作法


 最近の学校教育には問題があるように思えます。担任の先生に対して、児童がため口になっているのです。またそれも容認しているようにも思えます。確かに友情を示すようにも思えます。先生は「あなたと私は平等です。だからともにうまくやっていきましょう、」と言っているようです。
 しかし、極真会館では、心の中に縦の関係を持っているのです。指導者と道場生は、最初に縦の関係が最初に来ます。最初に目上の人に出会い、挨拶をしなければならないのです。それから道場生同士が挨拶するのです。
 両方とも必要だけれども,どちらが先に来なければならないかという事です。極真会館では、縦の関係がまず確立されなければならないと主張します。それから横になると思うわけです。
 今の教育の風潮は、すべて銃的な関係を排除することに、ある種のプライドや優越感さえ感じる教諭もいるようです。しかし、現実には人間関係の本当の発展を遅らせることになりかねないのです。理にかなった、ことだと多くの人も思うようになっているのです。
 武道精神の主張することは、まず、縦の関係が先に来てその基盤の上に横の関係が来るべきだと主張するのです。
 これは、学校教育と武道教育の違いを示しているようです。世界を回ってみて、西洋人は何か新しいアイデアを極真空手に求めています。私たちは特に西洋から新しいものを求めようとしてはいないのですが、西洋人は物事を行う新しい方法を見出すことに関心を持っているのです。それゆえ、極真空手に最大の関心を示して稽古を始めるのです。
 当然、私たち日本人も、古い形式的な習慣とか、狭い世間的慣習につかれているのも事実なのです。「こんなことで何の利益になるのだろうか」と言う気持ちにもなります。ある意味で実用的なことを考えるようになっているのです。
 そのような事を思えば、不合理に思えることもあるのです。心の奥底で正しく管理されたいし、正常な関係を持ちたいと思うのです。私は、もうすでに四十数年の年月を極真空手と共に歩んできました。私は必ずしも温厚な性格ではないのです。時としてとんでもない強靭で過酷なことも要求します。押しまくって妥協することを許さないのです。その根底は、この礼儀作法を原点とするからです。
 ましてや、道場を裏切って、別に流派を立てた人物に対しては、縦の礼節を忘れていると断罪するのです。顔で笑っても、歩んでいる道を決して許さないのです。それは、天が許さないからなのです。私も、決して裏切る道は歩まないと心に誓っているのです。