2013年11月8日(八段語録1890)

道場訓の意味


 道場訓の意味と少し考えてみましょう。入門した時に最初に触れるのは、道場訓です。この道場訓は、まだ修行をしていない時から、どのように修行しなければならないかの基本を示しています。だから私たち道場生は道場訓を拝読しなければならないのです。入門して、極真の道を探求することを誓うのですが、稽古のたびごとに、道場生が唱和してこの道場訓を読みます。指導者だけ誓うのはなく、稽古に参加している道場生が誓うのです。
 道場訓には七つのセクションがあります。七番目が六つのすべての結論を述べていますまず初めに、心身を練磨することを述べています。自己が確立してこそ空手の神髄を究めることができるのです。道場での信念を生活舞台でも確立するわけです。空手道を原点として自己を確立するのです。それは、他人ではなく本人に願われるのです。まだ確立していない自己をどのぐらい成長させるかということを問うということになります。
 道場で稽古するときに、誰の個の確立を願うかということです。それは、自分自身であるということを自覚するのです。これは、私においても、40年の間、唱和し続けてきたことなのです。そして自己を間違いのないように収めるわけです。それは、本来の自分を発見する歩みであることは間違いのないことです。
 次に、武の神髄を究めるという事を願うのです。武道精神を究めることは、並大抵のことではないのです。そして究めつつある自己を誇るのです。詳しくは説明しませんが、私たちがあらゆる観点から見ることができる力になります。私は、この七つの道場訓を順番通り唱和するのです。すなわち、七つのセクションを全部成就するために生命をかけるのです。そのような意味では、道場訓を他のどのようなものよりも大切にすることが重要になってくるのです。
 したがって、悪い自己に打ち勝つためには、自らの命を懸けても戦い、道場訓の中で言われた約束を実現するのです。私たちが、道場訓を唱和するのは、何の邪心も汚れも妨害もない新しい一日の始めという意味で、稽古と道場生との深い絆を持って行く瞬間なのです。自分が今どこにいるのか。何を道場で達成させようとしているのかを、我々は黙想することになるのです。その瞬間、その時間の稽古をもって、それが何と意味深いものであるかを知るべきなのです。もしそれを感じることなく、ただ稽古をするのでしたら、時間を無駄に過ごすことになるのです。
どのような行為でも、理想の武道人としての生活の実践だと考えるべきでしょう。そして生涯、極真の道を全うするのです。