2013年11月7日(八段語録1889)

武道精神の種子


 武道精神といっても数多くの流派があります。いかにも、武道としての柔道がオリンピックに出場するなど有名になっています。そして日本柔道はそれに匹敵するだけの実力をもっているのです。
しかし、春が来れば、最も反映してきた柔道でも氷解するのです。実際に今年数多くの問題を起こしてしまいました。根本は男女問題であったり、暴力の問題であったりしたのです。悲ししいかな、私の予言は当たりました。組織の崩壊は、男女問題であり、暴力問題であり、公金問題であると、何度も道場生に話したのでした。
極真会館の武道精神とは一体何でしょうか。それは、新しい本当の武道精神の始まりを意味するのです。ちょうど、熱帯の古代文明、ヨーロッパのように温帯から寒帯にかけての文明、さらに共産主義をもたらすような寒帯文明、そして春の文明を待つように人類は存在しているような気さえします。春からの出発ではなく、夏からの出発ということなのです。だから恐らく、武道精神も現在が極真精神で、本当の武道精神の始まりであり、極真空手で初めて隆盛を極める時が来るのだと確信するのです。
もし、極真空手が春から出発するものだとするならば、本当の意味での夏・秋・冬を迎えることになるのだと確信するのです。そのような意味からしても、最初の種になりうるかがこれからの課題であると思うのです。この時代、厳しい寒さに生き残るつもりならば、私たちは、未来に繋がる種を持っているかということが問われるのです。
そしてその種は、最も強靭で、堅固でなければならないのです。もし、私たち極真空手を武装するものが、最も厳しい冬が来る前に植えられたとしても、その冷たさに極真精神を破壊するものではないでしょう。私たちの精神はその冷たさによって破壊されてしまうこともなく、春が来れば、花を咲かせ始めるに違いないのです。
当然、私たちは、硬い殻に守られている松の種のようです。殻もある程度の水分を含んでいるのですが、それが冷たくなると凍ります。それを数回繰り返し割れてしまうのです。そこから、成長が始まるのです。それから実際に春がやってきて、私たちは成長し、心置きなく春を迎えることができるのです。
そして、すべての葉とその栄光を茂らせる花のようなものです。それが私たちの目指す目標ということになるのです。極真空手は永遠に反映するというのが私の筋書です。
もう少し付け加えるならば、春の熱い天候はそれ程熱くなく、寒い天候もそれ程寒くないのです。春の温度の範囲であるならば、あらゆる細胞、生物形態は繁殖をもたらします。これが、極真空手の掲げる姿であるといって過言ではないのです。その正しいイメージを持つことができるならば、武道精神の出発点である極真空手をよく理解することができ、たとえ、あらゆるものが融合したとしても、それは先へ先へと進み、繁栄をもたらすことができるのです。