2013年11月6日(八段語録1888)

稽古の意義


 道場において基本稽古は重要な事です。稽古の前、誰かと喧嘩したり、気分が悪かったりすると、空手どころではなくなるのです。もう惰性で稽古に入ってしまいます。気持ちを持ち直して稽古に望めないのです。極力、反省しなければ極真の稽古には入れないのです。とにかく心に葛藤を抱いた状態では、稽古ほど苦痛を伴う事は無いのです。
 私は、稽古に入るごとに、つまり、週に一度、月に一度、年に一度、心を洗浄する機会を持つのです。そうしないと、稽古がマンネリ化してしまうのです。空手道を極めていくという事は、基本稽古を積み重ねていくという伝統を立て続けてきているのです。こんな単純な繰り返しをするのを廃止して、キックボクシングのようにサンドバックを使って蹴ったり突いたりするだけでいいじゃないかと誘惑にかられることがあるのです。
 道場生の皆さんが、誰もが思ったことは理解するのです。それこそ、修行なのだと大山総裁から学びました。道場生の皆さんは、道場に通うのが嫌だと思うときもあるでしょう。しかし、我々が自分を反省し、基本で鍛えることを学ぶ中で、それを自分と比べていけば、成長していく自分に気が付くはずです。そうすると、毎週毎週、道場でよくやっていると実感するようになるのです。
 稽古で、空手道を追求し完成させるためには、時間がかかります。魔法の力でもって、一遍に達成することはできないのです。それは何日も、何週間もそして、何年もかかるのです。私などもうすでに、四十数年の稽古に明け暮れてきたのです。それはたえず努力の継続に他ならないのです。
 小学校を卒業するのには、六年かかります。極真の道を全うするための稽古をするために、それを一夜漬けてできるでしょうか。道場生の皆さんは雨の空を見て、道場へ行きたくないとか、この雨の中行きたくないと考えたりします。しかし、稽古にそれは許されますか。私の場合でも、本当に稽古に行きたいと心から願う日など何日あるかわからないくらいなのです。
 大抵、私たちは疲れていたか、雨や雪が降っていたか、あるいはそのほかに何かがあったのでした。しかし、私は稽古をしたのです。一日に三度の食事をするようなことだと思う事にしたのです。稽古を行うときは、心を清めて、自分の足らないところを、向上させる気持ちを準備したということなのです。
 常に、空手道について考え、自分の体の各部について考え、手の動きが悪いか、足の運びが悪いのか、反省するのです。そして、毎週、このような稽古を実践できることを素晴らしいことだと思うのです。そうすると自らを準備することができる人間になれるのです。 
常に、話したいことは、決して甘い気持ちで、あるいは、いやいや稽古を行うのではなく、反対に心から喜びをもって行うべきです。いつでも新しい初めの気持ちを大切にするのです。基本稽古は道場の中で、とても重要な事なのです。