2013年11月5日(八段語録1887)

押忍という挨拶の意味


 時々皆さんは道場の習慣、例えば押忍の挨拶などに不思議さを感じるかもしれません。「どうしてこのような挨拶を我々はしなければならないのだろう」と独り言を言うかもしれません。それは、極真空手のあらゆるところで、習慣になっているのだけれど、その詳しい説明を聞くこともないと思います。
 この押忍の挨拶は、極めて象徴的な行為なのです。私たちの両手で十字を切るという挨拶は、全身で挨拶をするという行為なのです。つまり、敬礼することにより、頭を高いところから低い所へ移動しますが、これは相手を心から尊敬するという気持ちの表れなのです。
 押忍と十字を切るためには、道場生は緊張せずに自然の姿勢で立ち、一方の手をもう一方の手の前に重ねます。右手は主体を象徴し、左手は対象を象徴しているように見えます。主体・対象を交叉させることは、両手を一か所に近づけるわけです。
 もちろん、頭は天を象徴し、四肢五体は主体・対象に分かれます。足は大地にしっかり固定します。だから、道場生が両腕を交叉して、頭を下げるとき、相手を尊敬するという、大変意にかなった姿勢になるわけです。
 極真空手を始めて、この習慣が続くのです。しかし、私たちはこれを行うのは、極真空手の習慣だからという理由のためだけではなく、それは、美しいのです。このようにして毎日道場生同士で挨拶を深めていくわけです。世界各国で同じような挨拶がなされる中で、この挨拶が最も包括的で、最も意味深いものであることがわかってくるようになるのです。
 道場生同士が、道場で、お互い何者であるかということを確認する、最も意味深いやり方で思い出させてくれるのです。この挨拶が敬意を表すもっとも正しいやり方なのです。
 話は変わりますが、私は、この空手に人生のすべてを投入しました。そして、今でも理想主義を貫いているのです。還暦を超えても、この心は変わらないのです。今日も朝4時半に起床して、活動を始めました。早起きは、人間の運命が高貴でかつ感動すべきものであることを思い出させてくれます。それは、太陽が昇り、心が新たに出発する思いになるのです。
 というのも、太陽は東から昇り、毎日栄光を運んでくるように思えるし、日が落ちて、夜空を眺めるときに、北の最高点の北極は、変わらない名誉と権威の星に見えるのです。このようなことを思うときに、人間は栄光と名誉そして権威を持つべきであると思うのです。
 挨拶をしっかりすることによって、権威がますます高くなって、最高点である天に達するのです。栄光は東から西へ水平線上に移動するので、必ず拡大するのです。北は垂直で東は水平、これらの方向は人の中で出会うのです。つまり挨拶が基本であるということなのです。