2013年11月3日(八段語録1885)

空手の道(3)


私が最初、柔道の心得で極真空手に挑んだとき、先輩は「新米」と言って私のことを笑っていました。いかに投げ技ができても、打撃のほうではまるっきり叶わなかったのです。「三年間見ていろよ。その間に抜いてやるぞ。」と私は考えたのでした。ところが一か月もしない間に、あばら骨を折って、痛みが全身を襲ったのでした。そのために、僅かな期間でリタイヤということになったのでした。
 結局、池袋の本部道場での稽古は、続かなかったのです。そして、再び訪ねたのは数年後北海道の高木道場でした。この数年間、悔しさをバネに、全国を行脚していたのです。そして、心の準備をしての入門だったのです。そうして高木道場での稽古が始まったわけですが、今度は姿勢が、以前とまるっきり違うのです。そして、その稽古の姿勢に先輩たちも驚いていたことを思い出します。
 そしていつの間にか、先輩は自分たちの空手道の世界に衝撃を与えているこの「新米」に敬意を払うようになってきました。先輩は組手であらゆる記録を打ち立てるのを見て、我慢できないので、私を打ち負かすために、結構早い時間から稽古を始めるようになっていました。私も負けずに稽古をするようになると、打ち負かそうとする先輩は、一貫性とハードトレーニングの点で、私と競合することができないと感じるようになったのです。
 私の話が手前味噌になってしまうようですが、そのようにして出発したのが空手道への取り掛かりだったのでした。そして空手道への関心がとても強い時期は、人生の醍醐味を感じるようになっていったのでした。空手道の精神を味わおうと思った私は、天候に関わらず毎日稽古をしたのでした。これが空手道を志す男の基本的な態度になったのでした。空手道のスリルと興奮を知った私は、たとえ体調が良くなくても稽古をしていたのでした。稽古が空手道を学ぶ最善の道になったのでした。
 今、私はこのような精神を持ったおかげで、人生を有意義に過ごせるような気がするのです。この空手道に全身全霊捧げると、いつしか戦いが始まるのです。そのようなときは、空手道との戦いの熱狂の中で、無我夢中になるのです。私は、経済的理由で空手道をしているのではないのです。私の目的は、絶え間ない稽古で自分を磨き、世界の指導者を目指そうとする人間としての精神を示そうとしているのです。