2013年11月2日(八段語録1884)

空手の道(2)


女性が最高の宝石を誇りにする以上に、自分の道場を誇りにしています。この道場には、多くの道場生が通ってくるのです。指導者としての私は、指導に全力を尽くそうとする心がなければならないということは、想像することができると思うのです。
 道場生は、空手道の興奮を求め、そのために時間を費やすのです。そのために、家族の協力が必要であったりするのです。最初に空手を始めた道場生は、基本・移動・型といった退屈な技術のマスターをせざるを得ないのです。
 その期間に、道場生は不平を言い、つまらない繰り返しに飽きてしまうこともあるのです。しかし、いったん、技術が向上すると、彼らは瞬く間に目が輝き始めるのです。つまり、組手や交流試合で、一瞬の自分の体の動きに感動を覚えるのです。そのような姿を数多く見てきました。
 それこそが、私が探し進めようとしている武道精神なのです。だからそのようなことを話すよりも、道場生が稽古する中で味わって欲しいと大いに願うのです。
 私が経験できないものとして、子供を産む苦痛があります。婦人達だけが体験を通じて知っているのです。しかし、男性にとっては、空手道では普通の男性の世界の出来事を、空手道に携わっていない、女性が理解することは難しいようです。
 一見すると危険が伴う空手の世界は、ファッションとか美容とか、美を求めるような世界とはあまりにもかけ離れているのです。道場生は、どのような種類のスポーツよりも、空手道での格闘に興奮するようになるのです。それは、生まれついてそのような性質を持つというのではないのです。何度も言うようですが、基本・移動・型の繰り返しが、なせる業なのです。
 空手道が持つ魅力は、武道精神であります。だから私は、今まで四十数年の間、この道を究めてきたのです。最初は、空手道の壁に打ちのめされるだけでした。何度も先輩にチャレンジしたのでしたが、経験不足なために、一度も相手にされませんでした。先輩と対等に戦うことを描く時の興奮を考えると、今がどのようなものかという失望を感じる日々を過ごしたものです。
 そのような気持ちから、精神を建て直し、前進を決意する連続でした。若かりし頃は、太陽が一日の終わりに沈み始めると、さらに練習に力を注ぎ、一日が終わらないように命令したい気持ちにもなったものです。このような気持ちで、今まで空手道に邁進し、あらゆる問題に取り組んできたのでした。試合に勝つまで試み続けたのが、稽古であったのでした。