2011年5月12日(八段語録1311)
復興への道(28)
私の直感ですが、武士道への関心は益々強まってくると思うのです。人間が草食系とか叫ばれて久しいのですが、目指すべき本性的な個性の波は必ず来るのです。確かに武道を志す人は少ないかもしれませんが、志した人たちの成果は、かなりのものになると確信するのです。
今日、私達の今までの努力は、極真空手道という概念を、社会に定着させて、その人口を飛躍的に向上させる事でした。社会に対しての新しい空手道を発展させる為にも、新しいコンセプト作りの必要性を求めてきたことになるのです。
ところで、今の社会は便利さを追求するがゆえに、情報化や合理化あるいはオートメション化ということが叫ばれましたが、この東日本大震災という、とてつもない大きな試練に出くわして、新しいコンセプトのほうが大きな役割を果たすのです。まさにそれは、心技体の成熟という人格の素晴らしさを目指そうとするコンセプトなのです。
しかし、文明の発展と共に、男女とも、社会の便利さを追求してきたがゆえに、草食系と言われるくらい、か弱い存在になりつつあるのです。人間における存在感の後退のように見えるのです。
ある意味で、個性を磨こうとする人間性の後退に見えるのです。保守的傾向というより、時代の要求に答えることができない人達が増えていると言ってよいのです。信頼すべき予測によれば、社会は発展しても、人間としての魅力を失う人達が多いというのです。
そのように人間が、心身の成長を果たせない環境にあって、本当の心技体成長の手段が願われないわけはないのです。人々の成長を促す教育手段が重要性を増してくると思うのです。多くの人が没個性として広がるかもしれないという不安感から、極真空手への関心は日に日に強くなると思うのです。
そのような意味で、没個性の人々が増える中で、極真空手は、重要性を高めるのです。武道を志す人を減らすほど、極真空手を実践する人達の団結を強め、社会に取ってインパクトを持った存在として、発言力を持った存在になるのではないかと思うのです。
今日は国見スイミングクラブの教室へ出かけてきました。道場生は元気いっぱいです。道場を走り回りながら、一生懸命私の言葉に従ってくれるのです。一人で練習する何倍もの運動量をこなしたことになります。それでも笑顔です。流れる汗を拭こうともせずに押忍と挨拶に来ます。
道場生の健全な成長は、稽古から生まれるという実感をするのです。今日の空手の稽古は確実に子供達の心に届き、成長を促していると思うのです。私の心も充実して終われそうです。愛情の絆を子供たちが深めてくれると確信できた稽古でした。