2011年5月10日(八段語録1309)

復興への道(26)

 最近の妻の姿は、実に忙しいのです。寸暇を惜しんで子供の世話から両親の世話をしているのです。そればかりではなく、下宿の朝夕の食事を用意し、家の細々とした家事や、買い物と、時間が追いついていかないくらいです。
 週末になると私と畑に出向き、夏野菜の植え付けや草取りに余念が無いのです。恋愛当時から私と妻との間には深い愛情関係が存在しているのです。必要な事は全て妻に任せ、妻に任せればすでに何でも成就したのも同然のようでした。
 そして、今もそのような事が普通になされているのです。感動するというより妻に対して信頼と尊敬を募らせ続けているのです。もう既に習慣になっているのです。そして、私は今でも家庭の課題を妻に任せているのです。
 その妻は、相変わらず、毎日を一生懸命働いているのです。私から発する、訳のわからないプログラムも手直しをして、こなしているのです。理解できない事もあると思うのですが、それでもアレンジしながら頑張る姿には、感動してしまいます。
 私から発するプログラム自体、不可解な事と思っているにもかかわらず、手続きを変えて、事態を改善できるものとしているのです。実にありがたいのです。妻と連れ添って三十数年経っています。心の壺を抑えているのだと思うのです。
 ところで、一般の家庭を眺めると、一緒に生活をして約束を信じることができない夫婦が多くあるのです。もう二人の間には、お互い期待など持たないという関係にもあるようなのです。夫婦の幸せな環境を開拓して行こうとするプログラムを作って、本気になって取り組まないのです。長く続く事を願ってのロマンスも、今や長引かせるのに無意味さを感じているのです。止めるにやめられない疲れた中年の愛の如きものになっているのです。
 今日も精神的に不安定になっている娘にマッサージをしながら、学校であった事を聞いて心を安らがせていこうとする妻の姿がありました。寝室に入るころには、意識も無くなるほど疲労がピークになっているのです。
 私はというならば夕方には、少年院に入所している少年の環境調整をしてきたのです。とても裕福そうな家で、家庭としても恵まれているのですが、不良行為を続けて今に至っているのです。保護司として事務的ではなく、愛情を込めるという原点を忘れずに投入していました。母親に信頼していただく事、祖父母にも信頼していただくことを心がけたのです。あっという間に初回面接を二時間余り費やしていました。
 一人でも罪に陥った少年を更生する為に、私のできることが何であるのかと祈りながら、答えを掴もうと努力を惜しまずに対応しようと思っていました。地域社会で青少年の健全な育成の為の環境を更に作っていくように努力すべきであると思いながら一日を過ごしたのでした。