2011年5月6日(八段語録1305)

復興への道(22)

 休学していた文誉が、オリエンテーションと入学式に出席しました。自律神経が思うように調整できないので、感情がコントロールできない状態が続いたのですが、そのような精神状態と決別しようとしているのです。母親の千順さんは用事が立て込んでいるので、母をカバーするかのように、息子夫婦と順香、家族が一丸となって百合ヶ丘の尚絅学院大学へ向かったのでした。
 人ごみの中はだいぶ緊張するようでしたので、家族が付き添いながら文誉の旅立ちを見守っていました。学校の教授も十分理解して下さっているようで、配慮して下さっていました。この大学は、資格取得が目的なので入学者が目的をしっかり持っていて、コミュニケーションが密なのです。娘の将来を託すように私達家族が入学式に同席したことになります。
 娘に期待する事は、幼児教育という専門的な技能を身に付けることによって、高度な教育と知識を身につけて欲しいという事なのです。教育については、専門的な知識と技能を有するスペシャリストが必要になるのです。教育者は、知的労働者でありながら身体を酷使するのです。
 プロとしての教育者に関していうならば、知識と技能を持ち合わせていかなければならないのです。そして大学で学ぶ知識は、教育現場にとって高い技能の裏付けになるのです。高度の教育能力を身につけようとすることは、ますます多くの大学での専門的知識が必要となるのです。しかも、大学で学ぶ専門的知識は、教育現場の基盤となりうるし、多くの子供達を成長させる為に活用されるのです。
 私も空手道場という媒介を通じて青少年の教育に専従していることになります。道場生の教育の前に、空手道という高度の知識と技術を使って指導する事になります。空手自体は、五体に全てを使って行います。そして、そこで迅速性、正確性、等質性が求められ、稽古の中で反復的な動作を繰り返すのです。しかも、空手道といえども、稽古をしながら、教育という側面から分析し、体系化し、質を高めていくことになるのです。
 私の今まで指導してきた空手教育こそ、技能的な要素が強く、スペシャリストを目指さなければならないのです。そして、日々の稽古の中で、絶えず稽古を分析し、質である教育の内容を高めようと心がけるのです。そのような意味では、空手道としての技能なくして、道場における教育はあり得ないという当たり前の結論に結び付くのです。 
 理屈っぽい話になりましたが、娘への期待が高いという事になります。それも娘には負担に思うのでしょうが、親として仕方がありません。願うレベルを下げるわけにはいかないのです。途中で挫けるかも分かりません。それに関しては、親として祈らざるを得ない心境なのです。