2011年5月5日(八段語録1304)

復興への道(21)

 今日は一日自宅にいながら、のんびり過ごしています。親父の誕生日も終えて、情報技術の方向性などを考えていました。もちろんアイパットが最大の影響力をもたらせる要因です。午後には、杉原師範に電話をして会長との会議の内容を聞き入っていました。東京も動きだしそうな勢いです。学校のPTAでの活動を活発化させながら、極真空手の普及に連結しようとする内容です。八王子の数納師範の今後の空手道に対する意気込みなど、会話が弾みました。
 もちろん、このような情報の報告を聞きながら、この手塚グループの方向性を考えてしまうのです。このグループは家族ですので、多元的な要素をもちながら会話が進むのです。その点、官僚組織や会社組織とは異にするのです。このグループは統治や支配には関心がないのです。
 今までの組織では考えられない味を出そうとしているのです。当然組織としての完結した存在ではないのです。グループ内で完結しようとしないところが大きな特徴でもあるのです。社会貢献を意識しますから、内部がどうのこうのという事よりも、全て社会の為にどうするかという事が観点になります。私達グループが生みだすものは、優れた道場生であり、社会に多くの優秀な人材を輩出する事なのです。
 例え、私達が名も無い存在であろうが、優秀な道場生が大きく社会貢献して行くことを願うのです。今のことではなく、10年後、20年後に活躍するかもしれない道場生という事になるのです。もう私達の考えはすでに柔軟なのです。社会に迷惑をかける道場生を排出しないというのは、あたりまえなのです。社会に害を与える存在を育てないのです。
 当然、グループとして権力を奪い合うというようなことはしないのです。そのような意味では、支配階級を作ろうとする意図はないのです。多くの世界観と関心を分かち合う事ができるようにと考えるのです。そのような意味では、手塚グループは、自らの目的をしっかり中心におき、絶対視し、意味あるものとするのです。
 そのような観点では、会長から空手道と関係のない言葉が飛び出します。会長独自の言葉で話されますし、独自の価値観からの知識、独自の秩序で検討されるのです。しかも、会話全体から醸し出される内容は、社会全体に対しての責任感が強いのです。ある意味で、社会の問題は自分の責任であるかのような発言をされます。
 それを、私達のグループの責任のように考える会長の姿は、強い意志を兼ね備えたインテリのように見えるのです。決して武道家としてのイメージはないのです。とにかく、私は、何もしない一日でした。我ながら、何もしない事の有意義さを感じるのです。