2011年5月3日(八段語録1302)

復興への道(19)

 父親の誕生日です。84歳になりました。3月11日の大震災の時は、三春の杜老人ホームでデーサービスを受けている時に大震災に会いました。水道、電気、ガス全てがストップしました。この時期はとても寒かったので、暖房が止まった状態で、老人ホームも劣悪な環境になっていたのです。
 一日過ぎてから、交通の復旧がなされて家に父親が帰ってきました。その時は、身体が冷えきって肺炎を起こしかねない状態にあったのです。それでも、電池式のストーブを焚きながら看護していましたが、結果的に病院に入院という事になりました。
 多くの被災者が病院で手当てを受けていましたので、入院など叶わない状態でした。老人ホームの理事長の配慮で、長命ヶ丘の針生・船田クリニックに運よく手配が付いたのでした。病院の入院は一カ月に及びました。病状も回復し、再び老人ホームに入居した時には、歩けない状態でした。ホームのスタッフでリハビリに専念していただき、杖をつきながら歩行できる状態まで回復していました。
 そして、今日になって元気で84歳の誕生日を迎える事ができたのです。震災当時から一連の流れを追って、感じる事は、親父が元気でこの日を迎える事が、奇跡と思えたのです。私の兄弟も駆けつけて祝ってくれたので、再び明るい一家団欒が戻ってきたのです。当たり前の光景なのですが、幸せを感じるのです。
 ところで、今日は、東京で会長を囲んで杉原師範、数納師範が会議をもったというのです。両師範とも会長にこれからの方向性を発表したという事です。会長も喜ばれて、今までの手塚道場の証をされていたとのことなのです。東京・大阪の師範が新たに加わったことで力強く前進する前触れの予感がするのです。
 つまり、手塚グループの運営戦略の基本が変わったのです。会長がリーダーとして設定する、事実上の基準に到達しそうな勢いなのです。成功が目前に迫っているという事なのです。手塚グループとして生き残る、盤石な基盤が生まれたということです。
 確かに、ローカルな基盤で出発したグループですが、情報の伝達能力の容易さと敏速さゆえに、グローバルなグループ内競争力が生まれてきているのです。今では、情報伝達手段が安価でいつでも手に入れる事ができるのです。各責任者間の新しい情報チャネルが生み出されてきているのです。フェイスタイム・スカイプ・ただ友の電話等、ありがたい環境が整備されてきています。早速、広島の宮城師範には準備して貰いました。
 そして、これからのグループの発展に関してのグローバルな水準の設計が要求されます。指導者一人一人が、グローバル意識をもちながら、グローバルな競争をすべき時にきているのです。そして成長期間を経ながら大きな組織へと変貌していくべきであると感じるのでした。