2011年5月1日(八段語録1300)

復興への道(17)

 東横インを朝5時に出発しました。審査会を終えてホッとしている宮城師範は、声がかすれて出ないのです。二日間、声を酷使したようでした。それでも次の目標を掲げているようです。私の頭脳も次へのステップを心掛けて行こうとしています。その意味でも、29日に発売になった「アイパット2」が気がかりです。グループ運営の強力な道具になると感じています。ちょっとこじつけです。
 ところで、広島は、私にとってとても縁が深いのです。妻の千順さんは、広島の芸北出身です。さらに、私が1980年に三年間仕事をしていたところなのです。もう既に30年以上も過ぎてしまっています。大田川の近くの己斐に住んでいたのです。そこから、可部の森周治師範の道場へ通っていました。横川のタバコ屋の息子の田原氏も一緒でした。世界大会でウイリーウイリアムスに勝った試合が有名な武勇伝になっています。もう既に田原氏は他界してしまっていました。
 三年間広島で空手修行をした事になります。黒帯を締めて、選手として歩んでいた時でした。極真会館の有段者に誇りをもって過ごしていた時です。ハードなトレーニングを繰り返していました。道場では、鉄アレイ16kgを両手で持ち、腕を鍛える練習を繰り返すのです。田原氏は、森周治師範の愛弟子で師弟関係が羨ましく思えるほど仲が良かったのです。
 思い出が充満している広島です。毎回審査会に来るのが楽しみになります。青春時代を過ごした広島です。極真魂を磨いた場所であります。千順さんの実家には、いつも出かけて行きました。千順さんの母親から、分厚いアルバムをいつも見せて貰っていました。広島の山間の八幡というところなのですが、有名な三段峡より奥に入った臥竜山が近くにあるのです。ちょうどアルプスの麓のようです。そのような意味では、アルプスの少女ハイジというイメージに思っていたのでした。今でも変わることなく、そのように思っています。
 さて、広島空港で色々と考えるのです。これからの日本社会において、私達が武道家として教育のリーダーシップを取って行くうえでカギとなるのは、武道家である師範の社会的地位であり、社会的認知だと思うのです。努力すべき事が多いのです。
 ところが今日、私達の立場は、空手だけならば、優遇はされていないのです。その立場は民間であり、町道場の域を脱していないという古い考えに固執しているのです。昔ならば、武士階級であり地位が保証されていたのです。今の立場に不満をもっているわけでなないのですが、これから青少年教育に最も貢献していく役割になってくるべきであると考えるのです。その為に取り組んでいるのが、社会奉仕ということです。
 その意味では、地域との連携と、教育者としてどうするのかという事が、大事な仕事なのです。道場生が何を望んでいるのか、極真空手は、道場生にとってどのように意義づけして行くべきなのか、道場生の目標を何処におくべきなのか、更に、私達はどのような成果を挙げていくべきなのか、考える事が多いのです。
 私達は、ボランティアの動機づけと同じではいけないと思っています。何より大切なのは、挑戦し続けていかなければならないと思うのです。その意味では、ボランティアの領域を超えていかなければ、成す事ができないと思っているのです。