2011年4月29日(八段語録1298)

復興への道(15)

 広島の審査会第一日目です。区民センター大広間である和室が会場です。時間になると道場生が集まってきました。会長と私は、一階の喫茶店で道場生を待ちます。程なく、全員が集まってきました。30名程の人数でスタートです。最初に私のスピーチから始まります。東日本大震災の話からです。普段何ともない家族なのですが、震災で失われた場合、夢中になって被災場所を念入りに探す夫や妻の姿、両親の姿が目に焼きついているのです。それ程に失われれば、大切な家族なのです。そのように大切な家族なのですから、家族破壊にならないように日常の生活を大切にしましょうという話で始めました。
 今回は、会長補佐の立場で、この審査会に望んだのです。また教育者として最大の責任を果たす為にいるのです。私の立場は、この審査を受ける多くの人達に、最高のプレゼントを与える為にいるのだという責任感が芽生えてきます。審査中は全員緊張しながらも一生懸命頑張っています。会長も全員に、目を皿のようにして観入っていました。
 この審査会に望んでいる道場生に、必ず良い結果をもたらす保証を与えなければならないのです。道場生の動きを、一々チェックです。その為に、私はこの会場で最善を尽くす以外にないと会場を歩きまわるのです。気が付けば直接、直している自分の姿があるのです。
 何故ならば、不十分な事をそのまま放って置くわけにはいかないのです。忠告の言葉も飛び交います。横やりのように私からの訂正が入ります。道場生としてこれから成長しようとするものが、そのまま不十分に、伝統を間違って覚えて貰うわけにはいかないのです。このような指導をしなければ、何も信じられなくなってしまいます。苦言を呈するという事をするのです。
 したがって、今回は、嫌われたとしても、将来に遺恨与えないために、気が付いた事をはっきり指導しているという事になるのです。これは、指導者としての基本的な倫理であり、道場に対するグループの指導者としての責任なのです。
三時間余りの時間が過ぎて、全ての審査が終わりました。会場の道場生は、安堵の顔を隠さないのです。それ以上に、周りで観ているご父兄の方々は、道場生以上に緊張していた顔がほころんでいるのです。審査が終わって付け加えたのが、組手の意味合いについてでした。
理由は、直接打撃で組手を初めて観るご父兄が多かったのです。説明がぎこちなくなったのですが、このような修練をしながら、精神力が増し加わってくるという事や、直接の組手の経験で、捌きが上手になり、あらゆる打撃に耐える事が出来る肉体を養っていくという話になりました。
 それにしても、一年間でよくここまで道場を盛り上げたものだと感心させられました。東京から数納師範も来てビデオにしっかり記録していました。今後の発展が楽しみになりました。