2011年4月26日(八段語録1295)

復興への道(12)

 新田地域にチラシを配布しながら、春の朝日の輝く光を満喫しています。昨日の筋力トレーニングの疲れが全身に効いています。足はだるいし、肩口の筋肉は張っているという感じですが、それでも、元気な太陽を見上げて、一日出発です。
 毎日のチラシ配布は、自分の権限に酔いしれない為であり、権限ゆえに、スタッフや道場生を蹂躙しない為なのです。自分の立場をよく見せる事は、簡単な事だと思うのです。その為に、自分が怪しげな存在になってしまう事なのです。立場が人を変えてしまう事があるのです。
 私も人生の中で苦い経験をした事があるのです。それも一回や二回ではなく、四、五回に及んでいるのです。一例を挙げるならば、1975年私の二十二歳の頃です。この若さで事業が、ことのほか上手く行くのです。オイルショック以降だと言うのに、経営はうまく行くのです。車も最高級車のクラウンのフル装備の購入です。
 当時道場は、北海道高木道場に通っていました。余剰の資金を師範に献金も出来ました。道場生というよりは、後援会の立場が強かったし、資金面の懐刀ということで、夜のすすき野に、お供する事も多かったのです。その意味では、道場に対する貢献度という事での評価があって、優遇されていたのです。
 この頃は、空手の実力も無いくせに、のさばっているという風に、傍目には映ったのかもしれないのです。生活は空手道がベースにあったので乱れるということはなかったにせよ、心の緩みは隠せませんでした。その後の人生において似たことが起こりました。違うところは、実力が評価され、立場が年齢と共に大きく、権限も大きくなっただけの事なのです。他のこと、つまり、心の未熟さの点では、何も変わっていないのです。
 つまり、心の本質は怪しげなものであり、立場はトップという事ですので、手につけられません。人生の虚栄心に翻弄されるだけだったかもしれないのです。
 話は戻りますが、人生の失敗から、チラシ配布は、日常生活になくてはならない私の修行なのです。それも、心の汚れを振り払うのに最高の修練という事になります。そのような理由で、止めるわけにはいかないのです。今日も、子供達と一緒にチラシの配布を一生懸命するのです。
 さて、今日は、畑仕事を午後から始めました。今日は森家の果樹園です。といっても、梅の木が四本とカキの木が二本です。それと苗木で梅の木と甘柿の苗木三本を植えているだけなのです。それでも、去年、樹木の枝をだいぶ切り落としたので、根元に枝が散乱しているのです。色々考えて枝を全部畑で、燃やす事にしました。
 運びながら燃やすのですが、最終的に午後から初めて、終わったのは夜の9時過ぎでした。かなりすっきりしました。あたり一面、静寂と夜の闇が覆っていました。