2011年4月25日(八段語録1294)
復興への道(11)
朝に子供達と空手のチラシ配布です。今日も朝日は眩しいのです。桜は満開を過ぎて、散りゆく時なのですが、日差しは、桜の花を引き立て、目に飛び込んでくるのです。雨の日は休みましたので、今日で三日目の活動なのです。子供達は喜んでくれています。
朝一番で、広島までのチケットを購入して、出発の準備をしたのです。安上がり旅割チケットです。午前中は、健康診断で、血液検査だけでも試験管7本なのです。大量の血液が体内から無くなったという印象です。
ところで、私が責任を持って行こうとする極真会館手塚グループに関しての心構えですが、責任を持つがゆえに権限も生じるという事を主張するのです。これは、社会教育の中で必ず出てくる正当な主張なのです。そこで、私はどのような権限を持っているのかと問うならば、正当な極真会館の継承をする団体にする為の全ての権限を持っていると思うのです。
どの分野に置き換えても、権限と責任は対であると思うのです。どんな環境であれ、責任心情が重要なことになります。日々の生活の中で、手塚グループに責任を持ち続けていく事は、意識がいります。使命感は自分が探して行くのです。役割も自分で探すのです。
誰かが、仕事を与えてくれるという意識では、責任感は生まれてこないのです。それどころか、自分の持ち場に嫌気がさしてきます。当然、満足感など得る事が出来ないのです。この道場には、誰からか指図されてコマのように動く人材を育てようとはしないのです。
仕事は自分が開拓するのです。仕事をするにしても、自分の好きな事を仕事にしている人は、本当に少ないのです。趣味の世界では力を出す事ができて、仕事は「いまいち」であるとするならば、労働時間の楽しみや感動は無くなってしまいます。時間を拘束されてしまう仕事の分野で、つまらない生き方を過ごしてしまう事になるのです。
そのような意味では、私が培ってきた人生観を、実に人間関係や、職場環境に生かすならば、生きがいという満足感を得る事が、生まれるのではないかと思うのです。私の生き方は、楽しんで生きようとする気持ちが滲むのです。単に割り切った生き方ではないのです。会長を支えていこうとする気持ちは、人一倍強いのです。会長から指示されたからでは無いのです。
そのような意味では、極真会館で、会長の下にいた弟子の中で、私ほど支えていこうとする責任を持った人間はいないと確信もするのです。嫌気がさして、無駄な事と意識を変えた人もいるかもしれません。それでも、私は、責任を持つのです。それだから、手塚グループに関しては最大の権限も生まれると実感もするのです。