2011年4月24日(八段語録1293)
復興への道(10)
大震災以降、現実を直視するかのように、災害復旧活動の取り組みとして、消防団活動に従事してきました。それも、3月一杯まで、大まかな作業を終ましたが、東日本大震災という、とてつもない災害に直面したわけです。この経験は、人生に経験する唯一の大災害という事にしたいと祈るばかりです。確かに、消防団活動は、被災地としての地元が願ったことであり、その事に取り組んだ事は間違いないし、自分の事を投げ打って歩んだ事なのです。
だだし、この消防団活動に関して、4月からの私の闘いは、慎重でなければならないと考えたのも事実なのです。そして、始まったのが空手道場の発展に、さらに寄与して行こうとしたことであり、自分の本来の役割に回帰したいということなのです。そうでなければ、私の社会的責任は果たせないとも思ったのでした。
本来の目的を遂行する為の闘いが、4月から始まりました。被災地仙台の活動が難しいならば、日本全体として考えようとする発想も芽生えていました。この極真会館手塚グループに対して無責任にはなれないのです。確かに3月は、精一杯の奉仕活動でした。しかし4月からは、専門的分野以外での行動をする事は無責任になると、自覚した事になるのです。
極真会館の運営こそ、私に課せられた責任であり、今のグループの質と量を高めていくことという自覚なのです。つまり、社会的責任を果たさなければ、無責任になると思えたのです。もう既に、大震災におけるボランティアの分野では、他県からの自衛隊と、警察、消防のプロフェッショナルの人達が駆けつけてきて最大の活動をしてくれるようになったのです。
私の活動は、地域の良き隣人になることであり、良き市民になる事なのです。もちろん、空手道だけが唯一の責任ではないのは分かっているのです。それでも、道場生、地域環境、その他に対して何であれ、自らが関わりを持つあらゆるものに対してインパクトを与える事が私の責任であると思い始めたのです。
というのも、社会貢献活動において、本来の私の役割を見失わないように歩もうとする自覚を持ったのでした。その意味では、本当の貢献を必要とされているという事と、それらの貢献を行おうとする人たちに報いるべきなのです。
そんな事を、今日の一日は考えていました。これから、私が歩むことは、極真会館手塚グループが信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものに向かっていくべきなのだという事なのです。この領域こそ、そして、武道教育こそ、私の役割なのであることを再度自覚する日なのです。
日曜日の今日は、農地の耕作です。畑を耕運機と鍬で柔らかくするのです。土地を改良する為に石灰を撒きます。春の日差しは、明るく、震災など無かったかのようにのどかです。上着にも中から汗がにじむのです。自然の暖かさを噛みしめながら、感謝の日々です。