2011年4月20日(八段語録1289)
復興への道(6)
自己筋力トレーニングの後、子供達の指導と壮年の二本の指導をこなしました。新鮮な感動です。久しぶりに子供達の笑顔が、何とも心に響きます。被災があった事も忘れてしまうくらい明るいのです。本当に幸せなひと時を過ごしているという実感です。
このような大震災でも、やはり、やり直しがきかない日々を送るという事なのです。宮城県本部においても、師範の人事をしてから、一年半が立ちました。色々な出来事がありました。継承して行くのは大変な事です。突然立てられた菅野師範も大変苦労していると思うのです。
この人事は、実にギャンブルに近いのです。師範の仕事ぶりは、師範にやらせて見なければ分からないのです。トップでこれから引っ張ってもらう菅野師範に対しても、準備のしようがないのです。また行う事も出来ないのです。
しかし、私が行ってはならない事ははっきりしているし、簡単な事なのです。私のコピーとしてはならないという事です。コピーを後継に据えてはならないという事なのです。精神的なモデルとして歩んで先駆的な道を開拓してきました。それでもコピーを作るつもりはないのです。
今まで、盛んに大山総裁の真似をした先輩がありました。そんな先輩の姿は、滑稽でしたし、とても個性が弱く感じてしまうのです。また、地方で師範の真似をして、行動していた人もいました。客観的に見てもおかしいのです。パーソナリティーはその人しか持っていないのに、行きすぎと感じてしまいます。
次に、私に何十年も一緒に歩んでこようとも、自分の意見を持ってない人は、要注意人物という事になります。自分で決定する意欲と能力のある人が、補佐役として、長く留まっているとしたならば、無能になっていくだけだと思うのです。結局役に立たないのです。しっかり自分の意見を持ち、構想を持って次の世代を担う人が師範にならなければならないと考えるのです。
さらに、早くから後継と目されてきた人物などは、特に役に立たないものです。そのような人は、多くの場合、実績が必要とされ、評価され、失敗も犯しうる立場に身を置こうとはしないのです。見た目は良いかもしれないのですが、実績をあげる人ではないのです。
では、次を担う人物像とはどのような人なのかと考えると、実績に焦点を当て、責任感が強い人の事なのです。これから、数年、何が最も大きな仕事になるのか、自覚している人物とう事なのです。
そのような意味では、菅野師範は、伝統を継承しながら、自分流を貫くであろうと考えるのです。それがまた、私の願うところなのです。さらに、全国に責任者が立ち始めています。この師範達も個性も責任感も強いのです。その強さがこれからのグループを引っ張っていく牽引力を担っていくと感じるのです。