2011年4月19日(八段語録1288)
復興への道(5)
私の防災に関しての教訓を思いつくままに書き記します。被災地をめぐりながら、また自分の町の様子を見ながら、この大自然からくる大震災について、天を恨めしく思うというような事はしないのです。私達の備えと姿勢の問題として捉えたほうが、これからの未来に対して有効であると思うのです。
天に対して、これで完璧な備えであるという事など到底できないと思うのです。しかし、人事を尽くせばクリアできる事も多いと考えるのです。そこで私なりのルールを考えているのです。
一つに、大震災に対して、大きな被害を持つにいたったのは、やはり私達の責任として捉えたほうがいいのです。一年前のチリ沖から来た津波の時、緊張した面持ちで、消防署でタワーを取りながら見守ったのです。避難勧告も出ました。しかし、住民は動こうともしなかったのです。結果、一メートル位の潮位が増しただけで被害には至らなかったのです。
今回の東日本大震災の時は、これらの地域では、前回の事もあったので、住民が動こうとしなかった可能性もあるのです。警報が狼少年のように聞こえたのです。だからと言って、それらの被災にあった住民を責めることはできないのです。
安全・安心という防災の役割を消防団として、ボランティアで担っていた訳ですので、このような悲惨な状況になった事に対して、被災にあった住民の責任には出来ないのです。防災に対して、不十分な備えしか指導出来なかった私の問題があったと、捉えるべきなのです。これは、個人的にそう思うのです。
二つ目に、このような大震災に対して、復旧・復興が願われるわけですが、防災に対して、再度意識を持つ責任を果たすべきなのです。今までのような活動では、これから復旧・復興に立ち向かおうとしている人達に迷惑をかけるだけであって、全体の士気が上がらないのです。そのような意味では、大災害の後でも、強い責任意識を持つのです。
三つ目に、このような大震災の時に、消防団という事で役割に徹した訳ですので、ここで、くじけたりしてはいけないという事だと考えています。今回の事を教訓にして、日々の訓練に勤しむべきであると考えています。備えた基準よりもはるかに天は大きな試練を与えたという事を肝に銘じるのです。
四つ目に、常に正しい安全・安心の消防団活動を行うように努めるべきであると思うのです。例え消防団という団体活動でも、私の働きによって規定されると思って活動すべきであると考えるのです。それ故、誇りを持って、ボランティア活動に心血を注ぐべきであると考えるのです。
五つ目に、もう既に十数年もこの活動に徹しているわけですから、今自分が何を期待されているのか明白なのです。しかも、重責を背負っているわけですので、みんなに信頼されてこれからも担当して行きたいと思うのです。